後世への最大遺物 / 第二回・深いところにはことごとく音楽がある
われわれの心に鬱勃たる思想が籠もっておって、われわれが心のままをジョン・バンヤンがやったように綴ることができるならば、それが第一等の立派な文学であります。カーライルのいったとおり「何でもよいから深いところへ入れ、深いところにはことごとく音楽がある」。実にあなたがたの心情をありのままに書いてごらんなさい、それが流暢なる立派な文学であります。私自身の経験によっても私は文天祥がドウ書いたか、白楽天がドウ書いたかと思っていろいろ調べてしかる後に書いた文よりも、自分が心のありのままに、仮名の間違いがあろうが、文法に合うまいが、かまわないで書いた文の方が私が見ても一番良い文章であって、外の人が評してもまた一番良い文章であるといいます。
書き下し
われわれの心に鬱勃たる思想が籠もっておって、われわれが心のままを、ジョン・バンヤンがやったように綴ることができるならば、それが第一等の立派な文学であります。カーライルのいったとおり「何でもよいから深いところへ入れ、深いところにはことごとく音楽がある」。実に、あなたがたの心情をありのままに書いてごらんなさい、それが流暢なる立派な文学であります。私自身の経験によっても、私は文天祥がどう書いたか、白楽天がどう書いたかと思っていろいろ調べて、しかる後に書いた文よりも、自分が心のありのままに、仮名の間違いがあろうが、文法に合うまいが、かまわないで書いた文の方が、私が見ても一番良い文章であって、外の人が評してもまた一番良い文章であるといいます。
現代語訳
私たちの心に湧き上がる思想がこもっていて、それを心のまま、ジョン・バンヤンがやったように綴ることができるなら、それが第一等の立派な文学です。カーライルが言ったとおり、何でもよいから深いところへ入れ、深いところにはことごとく音楽がある。まさに、皆さんの心情をありのままに書いてごらんなさい。それが流れるような立派な文学です。私自身の経験からも、文天祥はどう書いたか、白楽天はどう書いたかとあれこれ調べてから書いた文章より、自分の心のままに、仮名が間違っていようが文法に合うまいが構わずに書いた文章のほうが、自分で見ても一番よく、他の人の評でも一番よいと言われます。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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言志四録・言志晩録 第六十二条 隘に失はずして博に失ふ今の学者は、隘に失はずして博に失ひ、陋に失はずして通に失ふ。
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『学問のすゝめ』十六編・手近く独立を守ること・独立の義に縁なきように思わるることにも品物につきての独立とは、世間の人が銘々に身代を持ち、銘々に家業を勤めて、他人の世話厄介にならぬよう、一身一家内の始末をすることにて、一口に申せば人に物を貰わぬという義なり。有形の独立は右のごとく目にも見えて弁じやすけれども、無形の精神の独立に至りては、その意味深く、その関係広くして、独立の義に縁なきように思わるることにもこの趣意を存して、これを誤るものはなはだ多し。細事ながら左にその一ヵ条を撮りてこれを述べん。
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史記 衛将軍驃騎列伝張騫大将軍に従ふ。嘗て大夏に使ひし、匈奴の中に留まること久しきを以て、軍を導き、善き水草の処を知り、軍以て饑渇無きを得たり。前に絶国に使ひせし功に因りて、騫を封じて博望侯と為す。冠軍侯去病既に侯たること三歳、春、冠軍侯去病を以て驃騎将軍と為し、万騎を将ゐて隴西より出で、功有り。天子曰く、「驃騎将軍戎士を率ゐて烏盭を踰え、遬濮を討ち、狐奴を渉り、五王国を歴、輜重人衆の懾慴する者は取らず、単于の子を獲んことを冀ふ。転戦すること六日、焉支山を過ぐること千有余里、短兵を合はせ、折蘭王を殺し、盧胡王を斬り、全甲を誅し、渾邪王の子及び相国・都尉を執へ、首虜八千余級、休屠の祭天の金人を収む。去病に二千戸を益封す」と。其の夏、驃騎将軍合騎侯敖と倶に北地より出で、道を異にす。博望侯張騫・郎中令李広倶に右北平より出で、道を異にす。皆匈奴を撃つ。郎中令は四千騎を将ゐて先に至り、博望侯は万騎を将ゐて後に在りて至る。匈奴の左賢王数万騎を将ゐて郎中令を囲む。郎中令与に戦ふこと二日、死する者半ばを過ぐ。殺す所も亦当に過ぐ。博望侯至り、匈奴の兵引き去る。博望侯行留に坐し、斬に当たり、贖ひて庶人と為る。而して驃騎将軍北地より出で、已に遂に深く入り、合騎侯と道を失ひ、相得ず。驃騎将軍居延を踰えて祁連山に至り、首虜を捕ふること甚だ多し。天子曰く、「驃騎将軍居延を踰え、遂に小月氏を過ぎ、祁連山を攻め、酋涂王を得たり。衆を以て降る者二千五百人、首虜を斬ること三万二百級、五王、五王の母、単于の閼氏、王子五十九人、相国・将軍・当戸・都尉六十三人を獲たり。師大率減ずること什に三。去病に五千戸を益封す。校尉の従ひて小月氏に至る者に爵左庶長を賜ふ。
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名将言行録・『名将言行録』山中幸盛 戦場の実感と首の数○明智光秀の臣、野々口丹波、幸盛に逢ひ、我等不肖と雖も、時の仕合に依て男役を勤めたること三度なり、然れども敵を突留め、首を取て後忽然と夢の覺めたるが如し、其場に於て目に見る所朦朧として、首尾分明ならず、然るに只一度働きせし者も、敵の働き自分の稼ぎ審に語る者あり、生得の大勇にやと問ければ、幸盛大に感じ、貴殿は僞りなき人哉、詞を飾り虚名を取る者踏しめたる所少きものなり、我等首供養したること既に二度なり、初め鎗を合はせ首を取ること四五度の間は、貴殿の語らるゝ所に違はず、七八度に及びて、夜の明けたる如く、十度に餘りて常に違はず、敵の内冑突能く見え、小兒の戲れに等しく、杖を以ても打倒すべし、貴殿未だ壯年なり、首數重ならば、我等が申所を思ひ合はさるべしと言へり。 ○野々口丹波、幸盛が旅館に來て、陪臣の身として申は恐入て候へども、哀れ茅屋の中に駕を枉られ給はゞ何事の幸か之に如んと言ふ。幸盛過分に候、參るべしと約す。斯る所に光秀、今日風呂を燒き候間來られよと言ければ、幸盛御家來野々口に先約致し候と言て打笑ふ。光秀も又共に笑て鴈一羽、鮭一尾を以て山中を饗應すべしとて野々口に與へり。