言志四録 / 言志晩録 第五十九条 疑は覚悟の機なり
余年少時。於學多有疑。至中年亦然。毎一疑起。見解少變。即覺學稍進。及至近年。則絕無疑念。又覺學亦不進。乃始信白沙所云。疑者。覺悟之機也。斯道無窮。學亦無窮。今雖老矣。可不自厲乎。
新字:余年少時。於学多有疑。至中年亦然。毎一疑起。見解少変。即覚学稍進。及至近年。則絶無疑念。又覚学亦不進。乃始信白沙所云。疑者。覚悟之機也。斯道無窮。学亦無窮。今雖老矣。可不自厲乎。
書き下し
余、年少き時、学に於て多く疑有り。中年に至るも亦た然り。一疑起る毎に、見解少しく変ず。即ち学の稍々進むを覚ゆ。近年に至るに及びては、則ち絶えて疑念無し。又学も亦た進まざるを覚ゆ。乃ち始めて白沙の云ふ所を信ず。「疑は、覚悟の機なり」と。斯の道窮まり無く、学も亦た窮まり無し。今老いたりと雖も、自ら厲まざるべけんや。
現代語訳
私は若い頃、学問について多くの疑問があった。中年になってもそうであった。一つ疑問が起こるたびに、見方が少し変わる。そのたびに学問が少し進んだのを感じた。ところが近年になると、まったく疑問が起きなくなった。そして学問もまた進まなくなったのを感じる。そこで初めて陳白沙の言った「疑いは、悟りのきっかけである」という言葉を信じるようになった。この道には終わりがなく、学問にもまた終わりがない。今は年老いたとはいえ、自らを励まさずにいられようか。
解説
晩年の一斎が、自分の学問の停滞を率直に告白した条です。若い頃も中年の頃も、疑問が起きるたびに見方が変わり、学問が進んでいった。ところが近年は疑問が起きず、学問も進まない。そこで明の陳白沙の「疑は覚悟の機なり」を身にしみて信じるようになったと言います。疑いは迷いではなく、次の理解への入口だというのです。言志晩録は一斎の六十代後半から七十代にかけての書で、名声を得た大儒がなお「自ら厲まざるべけんや」と結ぶところに、学びへの姿勢の真剣さがあります。経験を積むほど疑問を持たなくなるのは、熟達の証であると同時に、成長が止まる兆しでもあります。最近いつ疑問を持ったかを振り返る材料になります。
この章句が説くこと
疑問覚悟成長老い学び続ける
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