言志四録 / 言志晩録 第五十三条 古今独歩の文
王文成拔本塞源論。尊經閣記。可謂古今獨步。陳龍川酌古論。方正學深慮論。隔世而相頡頏。竝爲有識之文。
新字:王文成抜本塞源論。尊経閣記。可謂古今独歩。陳竜川酌古論。方正学深慮論。隔世而相頡頏。並為有識之文。
書き下し
王文成の抜本塞源論・尊経閣記は、古今独歩と謂ふべし。陳龍川の酌古論、方正学の深慮論は、世を隔てて相頡頏し、並びに有識の文たり。
現代語訳
王陽明(王文成)の「抜本塞源論」と「尊経閣記」は、古今に並ぶもののない文章と言うべきである。陳龍川の「酌古論」と方正学(方孝孺)の「深慮論」は、時代を隔てながら互いに優劣がつけがたく、どちらも見識のある文章である。
解説
一斎が推す名文を挙げた条です。王陽明の「抜本塞源論」は、功利に走る世の学問の根を抜き源を塞ぐべきだと説いた文章で、「尊経閣記」は経書は心の記録であると論じています。陳龍川は南宋の事功派の思想家で、「酌古論」で古の兵略と治乱を論じました。方孝孺は明初の儒者で、「深慮論」において、人の深謀遠慮にも限りがあり、天意に従い誠を尽くすほかないと説きます。一斎が陽明の文を「古今独歩」とまで言うのは、朱子学の儒官として慎重な姿勢の多い中で目を引きます。いずれも学問を実際の世に生かす志を持った文章です。見識ある文章とは何かを考えるとき、手本とする文章を持つことの意味を感じさせます。
この章句が説くこと
名文見識陽明学文章手本
関連する章句
-
言志四録・言志後録 第二百五十五条 濂洛の学を尚友す濂洛復古の学は、実に孔孟の宗たり。之を承くる者は紫陽・金谿、及び張・呂なり。異同有りと雖も、而も其の実は皆純全の道学にして、決して俗儒の流に非ず。元に於ては則ち静修・魯斎、明には則ち崇仁・河東・余姚・増城、是れ其の選なり。亦各々異なる有りと雖も、皆一代の賢儒にして、其の濂洛に遡洄するは則ち一なり。上下千載、落落として唯だ此の数君子有るのみ。吾取りて之を尚友し、心に楽しむ。
-
言志四録・言志晩録 第六十九条 宜しく混看すること無かるべし王龍渓畿は余姚晩年の弟子たり。教を受くる日浅く、其の説高妙に過ぎ、遂に陽儒陰釈の譏を来す。猶ほ宋代に楊慈湖の累を金渓に貽す有ると同一類なり。其の他の門人、鄒東廓守益・欧陽南野徳・聶双江豹の如きは、並びに彬彬たる有用の人物たり。宜しく混看すること無かるべし。
-
言志四録・言志晩録 第二十六条 儒学の祖を家に譬ふ孔孟は是れ百世不遷の祖なり。周程は是れ中興の祖、朱陸は是れ継述の祖、薛王は是れ兄長の相友愛する者なり。
-
『慎思録』巻之五文章を作るには、経義に依りて条理有るを貴ぶ。須らく平易にして簡要、含蓄して余味有るべし。必ずしも艱険奇異の辞を為して、以て其の美を誇耀することを要せず。謝畳山の文章軌範は、文章の学に資する有り。其の文多く唐宋の大家を取りて、漢魏六朝より出づる者寡し。鄒東廓も亦文章軌範の続集を選ぶ。其の中唐以前の文を収録する者多し。初学の士、二書を併せて之を用ひて可なり。今の学者文字を作為せんと欲せば、便ち先づ論語孟子を熟読し、又斯の二書を記誦すべし。則ち意を用ひ材を取るに源委有りて、且つ作文の法に達せん。
-
言志四録・言志耋録 第七条 朱子の文朱文公は固より古今絶類の大家たるは論ずる勿し。其の経註に於ける、漢唐以来、絶えて一人の頡頏する者無し。翅に是のみならず、北宋の文章を以て顕はるる者は、欧蘇に及ぶ莫し。其の集各々一百有余巻、今古比類罕なり。朱子は文を以て著称せられずと雖も、而も其の集も亦一百有余巻、而して体製別に自ら一家を成す。能く其の言はんと欲する所を言ひて余蘊無し。真に是れ古今独歩たり。詩も亦韋柳と相亜ぐ。但だ経学を以て文詞を掩ひ、人其の能文たるを省みざるのみ。
-
『慎思録』巻之五明の方孝孺の鄭顕則に贈るの序は、文章を論じて、奇を好むと平易とを悪むを以て説を立つ。作文の学に於て、甚だ発明する所有り。学者の当に玩覧すべき所なり。曾南豊の文は、諸家の文章に比して、議論純正精詳なり。経術に得る有るに非ずんば能はざるなり。三蘇及び荊公の輩の及ばざる所なり。朱子之を称するも宜なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る