言志四録 / 言志晩録 第六十九条 宜しく混看すること無かるべし
王龍溪畿爲餘姚晩年弟子。受敎日淺。其說過高玅。遂來陽儒陰釋之譏。猶與宋代有楊慈湖貽累於金溪同一類。其他門人如鄒東廓守益歐陽南野德聶雙江豹。竝爲彬彬有用人物。宜無混看。
新字:王竜渓畿為余姚晩年弟子。受教日浅。其説過高玅。遂来陽儒陰釈之譏。猶与宋代有楊慈湖貽累於金渓同一類。其他門人如鄒東廓守益欧陽南野徳聶双江豹。並為彬彬有用人物。宜無混看。
書き下し
王龍渓畿は余姚晩年の弟子たり。教を受くる日浅く、其の説高妙に過ぎ、遂に陽儒陰釈の譏を来す。猶ほ宋代に楊慈湖の累を金渓に貽す有ると同一類なり。其の他の門人、鄒東廓守益・欧陽南野徳・聶双江豹の如きは、並びに彬彬たる有用の人物たり。宜しく混看すること無かるべし。
現代語訳
王龍渓(王畿)は王陽明の晩年の弟子である。教えを受けた期間が短く、その説は高尚で玄妙にすぎたため、ついに「表は儒、裏は仏」というそしりを招いた。ちょうど宋代に楊慈湖が陸象山(金渓)に累を及ぼしたのと同じ類である。そのほかの門人、たとえば鄒東廓(鄒守益)・欧陽南野(欧陽徳)・聶双江(聶豹)などは、いずれも文と質の調和した有用の人物である。一緒くたに見てはならない。
解説
陽明学が禅に近いと批判される原因を、一斎は王龍渓に見ます。龍渓は陽明晩年の弟子で、「四無説」など高妙な説を唱え、「陽儒陰釈」、表は儒で内実は仏教だと非難されました。これは陸象山の弟子楊慈湖が師の学を禅に近づけて評判を落としたのと同じだ、と一斎は言います。一方で鄒東廓・欧陽南野・聶双江らは、実務にも優れた堅実な人物だったとし、門人を一括りにせず見分けるよう求めます。「彬彬」は『論語』雍也篇の「文質彬彬」で、外の飾りと内の実質が釣り合った様子です。一つの学派を、その中の目立つ一人の言動で判断してしまうことはよくあります。人や組織を見るとき、一括りにせず個々を見分ける目の大切さを示しています。
この章句が説くこと
陽明学門人見分ける目高妙文質彬彬
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