言志四録 / 言志後録 第二百五十五条 濂洛の学を尚友す
濂洛復古之學。實爲孔孟之宗。承之者紫陽金谿。及張呂。雖有異同。而其實皆純全道學。決非俗儒之流。於元則靜修魯齋。明則崇仁河東餘姚增城。是其選也。亦雖各有異。皆一代之賢儒。其遡洄濂洛則一也。上下千載。落落唯有此數君子而已。吾取而尙友之。於心樂焉。
新字:濂洛復古之学。実為孔孟之宗。承之者紫陽金谿。及張呂。雖有異同。而其実皆純全道学。決非俗儒之流。於元則静修魯斎。明則崇仁河東余姚增城。是其選也。亦雖各有異。皆一代之賢儒。其遡洄濂洛則一也。上下千載。落落唯有此数君子而已。吾取而尚友之。於心楽焉。
書き下し
濂洛復古の学は、実に孔孟の宗たり。之を承くる者は紫陽・金谿、及び張・呂なり。異同有りと雖も、而も其の実は皆純全の道学にして、決して俗儒の流に非ず。元に於ては則ち静修・魯斎、明には則ち崇仁・河東・余姚・増城、是れ其の選なり。亦各々異なる有りと雖も、皆一代の賢儒にして、其の濂洛に遡洄するは則ち一なり。上下千載、落落として唯だ此の数君子有るのみ。吾取りて之を尚友し、心に楽しむ。
現代語訳
濂渓(周敦頤)と洛陽(程顥・程頤)による古の道を復興する学問は、まことに孔子・孟子の正統である。これを受け継いだのは紫陽(朱熹)と金谿(陸九淵)、および張(張栻)と呂(呂祖謙)である。互いに違いはあるものの、その実はみな純粋で完全な道学であって、決して俗な儒者の流れではない。元では静修(劉因)と魯斎(許衡)、明では崇仁(呉与弼)・河東(薛瑄)・余姚(王陽明)・増城(湛若水)が、その選ばれた人々である。これもそれぞれに違いはあるが、みな一代の賢い儒者であり、濂洛の学に遡っていく点では同じである。上下千年を見渡しても、まばらにただこの数人の君子がいるだけである。私はこの人々を選んで書を通じて友とし、心に楽しんでいる。
解説
この章句が説くこと
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