言志四録 / 言志晩録 第四十九条 著書は自ら怡悦するを要す
著書。只要自怡悅。不要初有示人之念。
新字:著書。只要自怡悦。不要初有示人之念。
書き下し
著書は、只だ自ら怡悦するを要す。初めより人に示すの念有るを要せず。
現代語訳
書物を著すのは、ただ自分自身が楽しみ喜ぶためであればよい。はじめから人に見せようという気持ちを持つ必要はない。
解説
書くことの動機を問う条です。一斎は、著書はまず自分が楽しむためのものであり、人に見せようという思いから始めてはならないと言います。言志録にも「人に示すの念あるを要せず」という条があり、同じ考えが一斎の中で晩年まで続いていたことがわかります。実際、言志四録そのものが、四十二歳から八十歳過ぎまで、折々に心に浮かんだことを書きためたもので、はじめから刊行を目的としたものではありませんでした。人に見せることを先に考えると、言葉は飾られ、思考は評価に引きずられます。自分が納得できるかを基準に書いたものの方が、結果として人の心にも届くのかもしれません。発信が日常になった今、書く動機を問い直す一言です。
この章句が説くこと
著述怡悦動機評価自得
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『墨子』非命上是の故に古の聖王、憲を發し令を出だし、設けて以て賞罰と為して以て賢を勸む。是を以て入りては則ち親戚に孝慈、出でては則ち鄉里に弟長、坐處に度有り、出入に節有り、男女に辯有り。是の故に官府を治めしむれば則ち盜竊せず、城を守れば則ち崩叛せず、君に難有れば則ち死し、出亡すれば則ち送る。此れ上の賞する所にして、百姓の譽むる所なり。有命を執る者の言に曰く、「上の賞する所は、命、固より且に賞せんとす、賢なるが故に賞するに非ざるなり。上の罰する所は、命、固より且に罰せんとす、暴なるが故に罰するに非ざるなり」と。
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司馬法・嚴位凡そ人は、愛に死し、怒りに死し、威に死し、義に死し、利に死す。
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