墨子 / 非命上
是故古之聖王發憲出令,設以為賞罰以勸賢,是以入則孝慈於親戚,出則弟長於鄉里,坐處有度,出入有節,男女有辯是故使治官府,則不盜竊,守城則不崩叛,君有難則死,出亡則送。此上之所賞,而百姓之所譽也。執有命者之言曰:「上之所賞,命固且賞,非賢故賞也。上之所罰,命固且罰,不暴故罰也。」
新字:是故古之聖王発憲出令,設以為賞罰以勧賢,是以入則孝慈於親戚,出則弟長於鄉里,坐処有度,出入有節,男女有弁是故使治官府,則不盗竊,守城則不崩叛,君有難則死,出亡則送。此上之所賞,而百姓之所誉也。執有命者之言曰:「上之所賞,命固且賞,非賢故賞也。上之所罰,命固且罰,不暴故罰也。」
書き下し
是の故に古の聖王、憲を發し令を出だし、設けて以て賞罰と為して以て賢を勸む。是を以て入りては則ち親戚に孝慈、出でては則ち鄉里に弟長、坐處に度有り、出入に節有り、男女に辯有り。是の故に官府を治めしむれば則ち盜竊せず、城を守れば則ち崩叛せず、君に難有れば則ち死し、出亡すれば則ち送る。此れ上の賞する所にして、百姓の譽むる所なり。有命を執る者の言に曰く、「上の賞する所は、命、固より且に賞せんとす、賢なるが故に賞するに非ざるなり。上の罰する所は、命、固より且に罰せんとす、暴なるが故に罰するに非ざるなり」と。
現代語訳
だから昔の聖王は法令を出し、それを賞と罰として設け、賢い行いを勧めた。おかげで家に入っては親に孝行し、外に出ては郷里の年長者に従い、日常の起居に節度があり、出入りに折り目があり、男女の区別があった。だから役所を任せれば盗まず、城を守らせれば裏切らず、主君に危難があれば命を捨て、主君が国を出れば見送った。これが上が賞し、民が褒めることである。ところが運命はあると主張する者はこう言う。「上が賞するのは、運命がもともと賞するのであって、賢いから賞するのではない。上が罰するのは、運命がもともと罰するのであって、乱暴だから罰するのではない」。
解説
賞罰が働くのは、行いと結果がつながっていると人が信じているからだ、という指摘です。孝も節度も守城も、そのつながりの上に成り立っている。ところが有命の説はそのつながりを切り、賞も罰ももともと決まっていたと言う。制度の設計としてこれは致命的で、評価が行いに結びつかないと分かった瞬間、人は行いを変える理由を失います。
この章句が説くこと
賞罰因果動機評価制度
関連する章句
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『墨子』公孟公孟子、子墨子に謂いて曰く、「義と不義と有るも、祥と不祥と無し」と。子墨子曰く、「古者の聖王は皆な鬼神を以て神眀と為して、禍福を為すとし、祥と不祥と有りと執る。是を以て政治まりて國安きなり。桀紂より以下は、皆な鬼神を以て神眀ならず、禍福を為す能わずとし、祥と不祥と無しと執る。是を以て政亂れて國危うきなり。故に先王の書、子にも亦た之れ有りて曰く、『亦た傲るなり、子より出づるは不祥なり』と。此れ不善を為すの罰有り、善を為すの賞有るを言うなり」と。
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