言志四録 / 言志晩録 第四十二条 吾が講、已に我に益有り
講說時。只要我口之所言入我耳。耳之所聞再返於心。以爲自警。吾講已有益於我。不必問聽者如何。
新字:講説時。只要我口之所言入我耳。耳之所聞再返於心。以為自警。吾講已有益於我。不必問聴者如何。
書き下し
講説の時は、只だ我が口の言ふ所、我が耳に入り、耳の聞く所、再び心に返りて、以て自ら警むるを要す。吾が講、已に我に益有り。必ずしも聴く者の如何を問はず。
現代語訳
講義をするときは、ただ自分の口が言うことが自分の耳に入り、耳で聞いたことが再び心に返って、それによって自らを戒めることが肝要である。そうすれば私の講義は、すでに私自身にとって益がある。聴く者がどう受け取るかを必ずしも問う必要はない。
解説
講義の第一の聴き手は自分自身だという条です。口から出た言葉を自分の耳で聞き、それを心に返して自らを戒める。そうすれば講義はそれだけで自分の修養になり、聴衆の反応に一喜一憂する必要はないと一斎は言います。聴く者を軽んじているのではなく、他人の評価を講義の目的にしないということで、「凡そ事を作すには、須らく天に事ふるの心あるを要すべし。人に示すの念あるを要せず」という言志録の条とも通じます。自分が語る言葉に自分が一番に照らされる人の話は、自然と聴く者にも届くものです。プレゼンや部下への指導の場で、その言葉を自分は実践しているかと問い返す習慣は、話す力を磨くことにもつながります。
この章句が説くこと
講説自警修養教えることは学ぶこと評価
関連する章句
-
説苑・善說齊景公子貢に謂いて曰く、「子誰をか師とする。」曰く、「臣仲尼を師とす。」公曰く、「仲尼賢なるか。」對えて曰く、「賢なり。」公曰く、「其の賢たること何如。」對えて曰く、「知らざるなり。」公曰く、「子其の賢を知りて其の奚若たるを知らざるは、可ならんか。」對えて曰く、「今天高しと謂うに、少長愚智と無く皆高きを知る。高きこと幾何ぞや。皆知らずと曰う。是を以て仲尼の賢を知りて其の奚若たるを知らざるなり。」
-
論語・子張篇子游曰く、吾が友張や、能くし難きことを為すなり。然れども未だ仁ならず。
-
論語・憲問篇子曰く、『驥は其の力を称せず、その徳を称すなり。』
-
史記 管晏列伝鮑叔既に管仲を進め、身を以て之に下る。子孫世々斉に禄せられ、封邑を有つこと十余世、常に名大夫為り。天下、管仲の賢を多とせずして、鮑叔の能く人を知るを多とす。
-
論語・憲問篇子曰く、人の己を知らざるを患えず、其の能わざるを患う。
-
論語・子張篇陳子禽、子貢に謂いて曰く、「子は恭を為すなり。仲尼豈に子より賢らんや。」子貢曰く、「君子は一言以て知と為し、一言以て不知と為す。言は慎まざる可からざるなり。夫子の及ぶ可からざるや、猶お天の階して升る可からざるがごときなり。夫子の邦家を得たらば、所謂『之を立つれば斯に立ち、之を道けば斯に行き、之を綏んずれば斯に来たり、之を動かせば斯に和す。其の生くるや栄え、其の死するや哀しむ』。之を如何ぞ其れ及ぶ可けんや。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る