言志四録 / 言志晩録 第三十九条 随処に天理を体認す
隨處體認天理。吳康齋有此言。而甘泉以爲宗旨。餘姚致良知。亦其所自得。但覺餘姚爲緊切。
新字:随処体認天理。呉康斎有此言。而甘泉以為宗旨。余姚致良知。亦其所自得。但覚余姚為緊切。
書き下し
随処に天理を体認す。呉康斎此の言有り。而して甘泉以て宗旨と為す。余姚の致良知も、亦た其の自得する所なり。但だ覚ゆ、余姚を緊切と為すを。
現代語訳
「至るところで天理を体得し認識する」。呉康斎(明の儒者)にこの言葉があり、湛甘泉はこれを自らの学の宗旨とした。王陽明(余姚)の「致良知」もまた、陽明自身が体得したものである。ただ私には、陽明の方がより身に迫って切実であると感じられる。
解説
明代の二つの学の標語を比べた条です。「随処体認天理」は呉康斎に始まり、陳白沙の門人湛甘泉が宗旨として掲げました。日常のあらゆる場面で天の理を身をもって確かめるという教えです。一方、王陽明は自らの苦難の中から「致良知」、つまり自分の内にある良知を発揮し尽くすことを悟りました。甘泉と陽明は親交がありながら学説を論じ合った間柄です。一斎は両者とも自得の学だと認めたうえで、陽明の方が「緊切」、身に引き寄せて切実だと言います。外の理を探すより、自分の良心の声に即して動く方が実践につながるという感覚でしょう。行動指針を選ぶとき、どれだけ自分事として迫ってくるかは一つの物差しになります。
この章句が説くこと
体認天理致良知自得陽明学
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