洗心洞箚記 / 卷上・第百十一條
當利欲紛擧之時、以致良知爲斆學、實庶乎迂愚、然而舍之以無復性爲人之道、故非有爲天地立心、爲萬世開太平之志者、孰能眞斆學之也哉、故姚江師弟之外、未嘗見其人也、
新字:当利欲紛挙之時、以致良知為斆学、実庶乎迂愚、然而舎之以無復性為人之道、故非有為天地立心、為万世開太平之志者、孰能真斆学之也哉、故姚江師弟之外、未嘗見其人也、
書き下し
利欲紛挙するの時に当りて、致良知を以て斆学と為すは、実に迂愚に庶し。然り而して之を舎つれば以て復た性を為す人の道無し。故に天地の為に心を立て、万世の為に太平を開くの志有る者に非ずんば、孰か能く真に之を斆学せんや。故に姚江の師弟の外、未だ嘗て其の人を見ざるなり。
現代語訳
利欲が入り乱れて起こる時代に、致良知を学ぶことは、まことに回りくどく愚かなことに近い。しかしこれを捨てれば、もはや本性を全うする人の道はない。だから天地のために心を立て、万世のために太平を開くという志のある者でなければ、誰が本当にこれを学べようか。それゆえ姚江(王陽明)とその門弟のほかには、まだそういう人を見たことがない。
解説
利欲が渦巻く世に致良知を学ぶのは迂遠で愚かに見えるが、それを捨てれば人の道はないと言う。そのうえで、張載の「天地の為に心を立て、万世の為に太平を開く」という大きな志がなければ、本当に致良知を学ぶことはできないとし、それができたのは王陽明とその門人だけだとする。陽明の学を独り奉じた中斎の自負と孤独が感じられる言葉である。目先の損得が支配する職場で原理原則を守ることは愚かに見える。それを支えるのは志の大きさである。
この章句が説くこと
致良知志利欲張載王陽明学問
関連する章句
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『大和俗訓』巻之二・為学下一博学にして経書に通じ、義理を説く人も、其心術行迹あしくして、俗人におとれるもあり。是道に志なくして、道を我が心に得ざればなり。口に読みならひ、目に見おぼえても、其理を心に得ざれば益なし。たとへば美食芳樽前に多くつらなれども、これを飲みくらはざれば、食にもあく事なく、酒にゑふ事もなきが如し。書を読んで行あしき人あるをうたがふ人あり。これを以て疑をはらすべし。書をよみても道に志なくば、文字を知れるのみにて、心において益なし。是無用の学なり。ここを以て、学をするにはまづ志を本とすべし。
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