言志四録 / 言志晩録 第三十七条 親友と畏友
南軒東萊。朱子之親友也。象山龍川。朱子之畏友也。後之學者。分黨相訟。恐非朱子之本意。
新字:南軒東萊。朱子之親友也。象山竜川。朱子之畏友也。後之学者。分党相訟。恐非朱子之本意。
書き下し
南軒・東萊は、朱子の親友なり。象山・龍川は、朱子の畏友なり。後の学者、党を分ちて相訟ふ。恐らくは朱子の本意に非ざらん。
現代語訳
張南軒と呂東萊は、朱子の親しい友である。陸象山と陳龍川は、朱子が畏敬した友である。後の学者たちは党派に分かれて互いに争っているが、おそらく朱子の本意ではないだろう。
解説
朱子の交友を「親友」と「畏友」に分けて示した条です。張南軒・呂東萊は学問を共にした親しい仲間、陸象山・陳龍川は考えを異にしながらも一目置いて論じ合った相手でした。朱子にとって論敵は敵ではなく、自分を鍛えてくれる畏るべき友だったのです。ところが後世の学者は、その論争を党派の争いに変えてしまいました。一斎はここでも、学派争いは朱子の本意でないと繰り返しています。意見の合う仲間と、あえて異を唱えてくれる相手の両方を持つことは、リーダーにとって大きな財産です。反対意見を述べる人を遠ざけていないか、振り返るきっかけになります。
この章句が説くこと
畏友親友交友党派論争
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