言志四録 / 言志晩録 第三十五条 道義の朱子、心術の陸子
學人徒是非訓註之朱子。而不知道義之朱子。是非言語之陸子。而不知心術之陸子。道義心術。途無兩岐。
新字:学人徒是非訓註之朱子。而不知道義之朱子。是非言語之陸子。而不知心術之陸子。道義心術。途無両岐。
書き下し
学人徒らに訓註の朱子を是非して、道義の朱子を知らず。言語の陸子を是非して、心術の陸子を知らず。道義と心術と、途に両岐無し。
現代語訳
学ぶ人々は、いたずらに注釈家としての朱子をあれこれ論評して、道義を体した朱子を知らない。言葉の上の陸子を論評して、心のはたらきを修めた陸子を知らない。道義と心術とは、道として二つに分かれているわけではない。
解説
朱子学と陸王学の対立を、一斎は表面の争いと見ています。朱子を注釈の細かさで評価し、陸象山を言葉の過激さで評価するかぎり、両者は相容れない学派に見えます。しかし朱子が生涯をかけて求めた道義と、象山が磨いた心術とは、どちらも人がいかに正しく生きるかという一つの道に帰着する、というのです。「陽朱陰王」と評され、朱子学の官学に身を置きながら陽明学にも通じた一斎ならではの見方で、前後の条でも門戸争いを戒めています。人や学説を評価するとき、その言い回しや手法に目を奪われず、根にある志を見るという姿勢は、異なる流儀の同僚と協働するうえでも示唆があります。
この章句が説くこと
道義心術朱陸学派本質
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