言志四録 / 言志晩録 第二十七条 朱陸は互ひに相許す
朱陸同宗伊洛。而見解稍異。二子竝稱賢儒。非如蜀朔之與洛爲各黨。朱子甞曰。南渡以來。理會著實工夫者。惟某與子靜二人。陸子亦謂。建安無朱元晦。靑田無陸子靜。葢其互相許如此。當時門人。亦有兩家相通者。不爲各持師說相爭。至明儒如白沙篁墩餘姚增城。竝兼取兩家。我邦惺窩藤公葢亦如此。
新字:朱陸同宗伊洛。而見解稍異。二子並称賢儒。非如蜀朔之与洛為各党。朱子甞曰。南渡以来。理会著実工夫者。惟某与子静二人。陸子亦謂。建安無朱元晦。青田無陸子静。葢其互相許如此。当時門人。亦有両家相通者。不為各持師説相争。至明儒如白沙篁墩余姚增城。並兼取両家。我邦惺窩藤公葢亦如此。
書き下し
朱陸は同じく伊洛を宗とし、而して見解稍々異なる。二子並びに賢儒と称せらる。蜀朔の洛と各党を為すが如きに非ず。朱子嘗て曰く、「南渡以来、著実の工夫を理会する者は、惟だ某と子静との二人のみ」と。陸子も亦謂ふ、「建安に朱元晦無くんば、青田に陸子静無し」と。蓋し其の互ひに相許すこと此くの如し。当時の門人も、亦両家に相通ずる者有りて、各々師説を持して相争ふことを為さず。明儒の白沙・篁墩・余姚・増城の如きに至りては、並びに両家を兼取す。我が邦の惺窩藤公も蓋し亦此くの如し。
現代語訳
朱子と陸象山は、ともに伊洛(程顥・程頤)の学を宗としながら、見解がやや異なる。二人はともに賢い儒者と称されている。蜀党・朔党が洛党と別々の党派を作って争ったようなものではない。朱子はかつて「宋が南に渡って以来、着実な工夫を理解しているのは、ただ私と子静(陸象山)の二人だけである」と言った。陸象山もまた「建安に朱元晦(朱子)がいなければ、青田に陸子静もいない」と言った。思うに、二人が互いに認め合っていたのはこのようであった。当時の門人たちにも両家に通じている者があり、それぞれ師の説を固持して争うことはしなかった。明の儒者である陳白沙・程篁墩・王陽明・湛若水に至っては、そろって両家を兼ね取った。わが国の藤原惺窩公もまた、思うにこのようであった。
解説
この章句が説くこと
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