言志四録 / 言志晩録 第三十四条 朱陸の異同
朱陸異同。在無極太極一條。余謂朱子所論。爲精到不可易。然象山尙往復數回不已。亦交遊中錚錚者。但疑兩公持論。與平昔所言各異。朱子說無。陸子說有。如易地然。何邪。
新字:朱陸異同。在無極太極一条。余謂朱子所論。為精到不可易。然象山尚往復数回不已。亦交遊中錚錚者。但疑両公持論。与平昔所言各異。朱子説無。陸子説有。如易地然。何邪。
書き下し
朱陸の異同は、無極太極の一条に在り。余謂へらく、朱子の論ずる所は、精到にして易ふべからずと為す。然れども象山尚ほ往復数回して已まず。亦た交遊中の錚錚たる者なり。但だ疑ふ、両公の持論、平昔言ふ所と各々異なるを。朱子は無を説き、陸子は有を説く。地を易ふるが如く然り。何ぞや。
現代語訳
朱子と陸象山の違いは、「無極にして太極」をめぐる一件に表れている。私の考えでは、朱子の論じたところは精密で行き届いており、動かしようがない。しかし象山はなお何度も書簡を往復させてやめなかった。これもまた交友の中でひときわ優れた人物である。ただ疑問に思うのは、両公のこの時の持論が、ふだん言っていることとそれぞれ異なっていることだ。朱子は「無」を説き、陸子は「有」を説いた。まるで立場を入れ替えたかのようである。これはどういうわけだろうか。
解説
周濂渓『太極図説』冒頭の「無極にして太極」をめぐって、朱子と陸象山は激しい書簡論争を交わしました。朱子は「無極」の語を擁護し、象山は「無極」は老荘の語で不要だと退けます。一斎は論としては朱子に軍配を上げつつ、象山の粘り強さも認めます。そのうえで鋭いのは、ふだん実理を重んじる朱子が「無」を説き、心の直観を重んじて禅に近いと言われた象山が「有」を説いた、その逆転への問いです。論争の場では、人は自説の本筋よりも相手への反論に引っ張られることがあります。議論の勝ち負けより、互いの言葉が普段の持論とどうつながっているかを見る目は、会議で対立を読み解くときにも役立ちそうです。
この章句が説くこと
論争朱陸無極太極持論公平
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