言志四録 / 言志晩録 題記 言志晩録の題記
單記積年。又成一堆。及輯錄。則略以類相從。事亦多係釋褐後。錄起天保戊戌孟陬月。至嘉永己酉仲春月。一齋老人自題
新字:単記積年。又成一堆。及輯録。則略以類相従。事亦多係釈褐後。録起天保戊戌孟陬月。至嘉永己酉仲春月。一斎老人自題
書き下し
単記積年、又一堆を成す。輯録するに及びては、則ち略ぼ類を以て相従へ、事も亦多く釈褐の後に係る。録は天保戊戌孟陬月に起こり、嘉永己酉仲春月に至る。一斎老人自ら題す。
現代語訳
一条ずつ書き留めたものが年を重ねて、またひと山となった。まとめて編集するにあたっては、おおよそ類ごとに寄せて並べた。記した事柄も多くは仕官(昌平坂学問所の儒官となった)後のことに関わる。記録は天保戊戌の年(1838年)の正月に始まり、嘉永己酉の年(1849年)の二月に至る。一斎老人が自ら記す。
解説
言志四録の第三部『言志晩録』に一斎自身が付けた題記です。書き留めた条がまた一山になったので、類ごとにまとめたとあり、記録の期間は天保九年(1838年)正月から嘉永二年(1849年)二月まで、一斎六十七歳から七十八歳にあたります。釈褐とは庶民の粗い衣を脱いで官に就くことで、天保十二年に七十歳で昌平坂学問所の儒官に任じられたことを指します。晩録には学問所の長老としての立場からの発言や、朱子学と陸王の学をめぐる考察が多く含まれるのはそのためです。四十二歳で書き始めた記録が、老境に入っても途切れず続いていたことを示す一文でもあります。長く書き続けることの価値を静かに伝えています。
この章句が説くこと
記録晩年継続仕官編集
関連する章句
-
言志四録・言志耋録 序 耋録自題余今年齢八帙に躋る。耳目未だ太だしくは衰ふるに至らず。何ぞ其れ幸ひなるや。一息の存する、学廃すべきに匪ず。単記編を成し、呼びて耋録と曰ふ。(嘉永辛亥夏五月、一斎老人自ら題す)
-
言志四録・言志録 跋 言志録の跋余、学を一斎先生に受くること、年有り。今茲に乏しきを浪華の副鎮に承け、久しく教範に違ふ。因りて此の録を出だし、日に数章を読み、沈潜して之を玩味す。猶ほ之れ面命耳提のごときのみ。凡そ学に志有る者は、皆当に其の趣向を正すべし。況んや邦を有ち土を為むる者に於てをや。吾世の好学と号称する者を観るに、或いは虚文に馳せて実得無く、或いは功利に流れて正路を失ふ。其の家国に於けるや、果して何の益かあらん。豈に学其の方に乖くを以てに非ずや。此の録は悉く先生の自得する所より出づ。正に以て人をして其の趣向を正して帰宿する所を得しむるに足る。余敢へて自ら私せず。特に之を校刻して、諸を世の志有る者に貽り、焉を共にす。甲申春仲月下浣、浪華城山里の廨舎に書す。源綱條。
-
言志四録・言志録 第三十四条 少年の時は老成の工夫少年の時は当に老成の工夫を着くべし。老成の時は当に少年の志気を存すべし。
-
言志四録・言志後録 第二百四十三条 志気に老少無し血気には老少有り、志気には老少無し。老人の学を講ずるは、当に益々志気を励ますべし。少壮の人に譲る可からず。少壮の人は春秋富めり。仮令今日学ばずとも、猶ほ来日の償ふ可き有るを容す。老人は則ち真に来日無し。尤も当に今日学ばずして来日有りと謂ふこと勿るべし。易に曰く、「日昃くの離なり。缶を鼓して歌はざれば、則ち大耋の嗟あり」と。此を謂ふなり。偶々感ずる所有り、書して以て自ら警む。(天保八年嘉平月朔録す)
-
言志四録・言志晩録 第四十九条 著書は自ら怡悦するを要す著書は、只だ自ら怡悦するを要す。初めより人に示すの念有るを要せず。
-
言志四録・言志後録 第二百十二条 老人の話は記すべし老人の話は苟くも聞く可からず。必ず之を記して可なり。薬方を聞くも亦必ず箚記せよ。人を益すること少からず。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る