言志四録 / 言志後録 第二百四十三条 志気に老少無し
血氣有老少。志氣無老少。老人講學當益勵志氣。不可讓少壯人。少壯人春秋富。假令今日不學。猶容有來日可償。老人則眞無來日。尤當勿謂今日不學而有來日。易曰。日昃之離。不鼓缶而歌。則大耋之嗟。謂此也。偶有所感。書以自警。天保八年嘉平月朔錄
新字:血気有老少。志気無老少。老人講学当益励志気。不可譲少壮人。少壮人春秋富。仮令今日不学。猶容有来日可償。老人則真無来日。尤当勿謂今日不学而有来日。易曰。日昃之離。不鼓缶而歌。則大耋之嗟。謂此也。偶有所感。書以自警。天保八年嘉平月朔録
書き下し
血気には老少有り、志気には老少無し。老人の学を講ずるは、当に益々志気を励ますべし。少壮の人に譲る可からず。少壮の人は春秋富めり。仮令今日学ばずとも、猶ほ来日の償ふ可き有るを容す。老人は則ち真に来日無し。尤も当に今日学ばずして来日有りと謂ふこと勿るべし。易に曰く、「日昃くの離なり。缶を鼓して歌はざれば、則ち大耋の嗟あり」と。此を謂ふなり。偶々感ずる所有り、書して以て自ら警む。(天保八年嘉平月朔録す)
現代語訳
肉体の活力には老若の差があるが、志の気力には老若の差はない。老人が学問を講じるときは、いっそう志の気力を奮い立たせるべきである。若く壮んな人に譲ってはならない。若い人は先の年月が豊かにある。たとえ今日学ばなくても、まだ後日に埋め合わせる余地が許される。老人には本当に後日というものがない。だからなおさら、今日学ばなくても明日があるなどと言ってはならない。易経に「日が傾いたときの明るさである。瓶を打ち鳴らして歌い楽しむのでなければ、老いの嘆きが来る」とあるのは、このことを言うのである。たまたま感じるところがあったので、書き記して自らの戒めとする。(天保八年十二月一日に記す)
解説
この章句が説くこと
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