言志四録 / 言志後録 入学説 入学の初心
吾人爲學。當先自問其入學初心何如也。其心必欲學爲君子乎。不乎。於此趣向一錯。雖日從事此學。而終身無得。不徒無得。而適足以爲長傲飾非之資。故入學之初心。乃途蹊之所由分也。葢其心果在於欲爲君子。而志願緊切。絕無他念。則爲學之本立。斯可以入學矣。既有此志也。自能脩飾。不敢爲不善。但靈光未透。事多疑惑。不得不詢諸父兄。諮於諸友。而父兄諸友之誨我輔我者。皆我之所未慮及。乃敬而聽之。信而從之。躬於是寡愆行。事於是少過擧。既是學也。要我志之所至也。然而父兄諸友。得詢而諮之。而聖賢前哲。則今無由親聞其言矣。必欲更進以資之益也。於是乎求良師而學焉。爲師者敎之不乖其方。導之不失其序。我能聽其指授以學於古訓。人一己百。反覆熟思。愈入愈深。愈造愈遠。葢其理致之精微奧玅。果有以懸絕常凡者矣。敬而遵奉之。信而恪守之。驗諸躬而省乎心。習於事而察乎物。聰明日開。義理日晰。動靜語默。將於是乎中其度。處事接物。將於是乎適其安。而殊覺其有所進益發悟。不翅倍蓰平昔。尤是學之所在。要亦我志之所至也。然則始之聞諸父兄口語。猶讀書也。後之得於聖賢遺訓。猶面命也。皆自我之志而求之矣。故欲爲君子之志益切。期於屋尾聖賢以盡人倫。則其求諸己者。所以去人欲存天理之功。旣無不至。而父兄師友。以至於芻蕘邇言。自不得不問。聖賢之遺訓。以至於子史前哲之書。自不得不熟讀而深思之。遂其沛然不可禦者。皆無非我一志之所流注。是乃爲學趣向之正路然。世之以口耳爲學者。入學之志已錯矣。故其弊亦不厪無益也。先賢立志之訓。葢無餘蘊。然此意亦當參互而得之。
新字:吾人為学。当先自問其入学初心何如也。其心必欲学為君子乎。不乎。於此趣向一錯。雖日従事此学。而終身無得。不徒無得。而適足以為長傲飾非之資。故入学之初心。乃途蹊之所由分也。葢其心果在於欲為君子。而志願緊切。絶無他念。則為学之本立。斯可以入学矣。既有此志也。自能脩飾。不敢為不善。但霊光未透。事多疑惑。不得不詢諸父兄。諮於諸友。而父兄諸友之誨我輔我者。皆我之所未慮及。乃敬而聴之。信而従之。躬於是寡愆行。事於是少過挙。既是学也。要我志之所至也。然而父兄諸友。得詢而諮之。而聖賢前哲。則今無由親聞其言矣。必欲更進以資之益也。於是乎求良師而学焉。為師者教之不乖其方。導之不失其序。我能聴其指授以学於古訓。人一己百。反覆熟思。愈入愈深。愈造愈遠。葢其理致之精微奥玅。果有以懸絶常凡者矣。敬而遵奉之。信而恪守之。験諸躬而省乎心。習於事而察乎物。聰明日開。義理日晰。動静語黙。将於是乎中其度。処事接物。将於是乎適其安。而殊覚其有所進益発悟。不翅倍蓰平昔。尤是学之所在。要亦我志之所至也。然則始之聞諸父兄口語。猶読書也。後之得於聖賢遺訓。猶面命也。皆自我之志而求之矣。故欲為君子之志益切。期於屋尾聖賢以尽人倫。則其求諸己者。所以去人欲存天理之功。既無不至。而父兄師友。以至於芻蕘邇言。自不得不問。聖賢之遺訓。以至於子史前哲之書。自不得不熟読而深思之。遂其沛然不可禦者。皆無非我一志之所流注。是乃為学趣向之正路然。世之以口耳為学者。入学之志已錯矣。故其弊亦不厪無益也。先賢立志之訓。葢無余蘊。然此意亦当参互而得之。
書き下し
吾人の学を為すは、当に先づ自ら其の入学の初心の何如を問ふべし。其の心は必ず学びて君子と為らんと欲するか、否か。此に於て趣向一たび錯れば、日に此の学に従事すと雖も、而も終身得ること無し。徒に得ること無きのみならず、而も適に以て傲を長じ非を飾るの資と為すに足る。故に入学の初心は、乃ち途蹊の由りて分かるる所なり。蓋し其の心果たして君子と為らんと欲するに在りて、志願緊切、絶えて他念無ければ、則ち学を為すの本立つ。斯に以て学に入る可し。既に此の志有るや、自ら能く修飾し、敢へて不善を為さず。但だ霊光未だ透らず、事に疑惑多ければ、諸を父兄に詢ひ、諸友に諮らざるを得ず。而して父兄諸友の我を誨へ我を輔くる者は、皆我の未だ慮り及ばざる所なり。乃ち敬して之を聴き、信じて之に従ふ。躬は是に於て愆行寡く、事は是に於て過挙少なし。既に是れ学なり。要するに我が志の至る所なり。然り而して父兄諸友は、詢ひて之に諮ることを得るも、聖賢前哲は、則ち今親しく其の言を聞くに由無し。必ず更に進みて以て之が益を資らんと欲す。是に於てか良師を求めて学ぶ。師たる者、之を教ふること其の方に乖かず、之を導くこと其の序を失はず。我能く其の指授を聴きて以て古訓に学び、人一たびすれば己之を百たびし、反覆熟思し、愈々入れば愈々深く、愈々造れば愈々遠し。蓋し其の理致の精微奥妙、果たして以て常凡に懸絶する者有り。敬して之を遵奉し、信じて之を恪守し、諸を躬に験して心に省み、事に習ひて物に察す。聡明日に開け、義理日に晰かなり。動静語黙、将に是に於てか其の度に中らんとし、処事接物、将に是に於てか其の安きに適はんとす。而して殊に其の進益発悟する所有りて、翅に平昔に倍蓰するのみならざるを覚ゆ。尤も是れ学の在る所にして、要するに亦我が志の至る所なり。然らば則ち始めの諸を父兄の口語に聞くは、猶ほ書を読むがごときなり。後の聖賢の遺訓に得るは、猶ほ面命のごときなり。皆我の志よりして之を求むるなり。故に君子と為らんと欲するの志益々切にして、聖賢に屋尾して以て人倫を尽くさんことを期すれば、則ち其の諸を己に求むる者、人欲を去り天理を存する所以の功、既に至らざる無くして、父兄師友より、以て芻蕘の邇言に至るまで、自ら問はざるを得ず。聖賢の遺訓より、以て子史前哲の書に至るまで、自ら熟読して之を深思せざるを得ず。遂に其の沛然として禦ぐ可からざる者、皆我が一志の流注する所に非ざる無し。是れ乃ち学を為す趣向の正路なり。然るに世の口耳を以て学と為す者は、入学の志已に錯れり。故に其の弊も亦厪かに益無きのみならず。先賢の立志の訓、蓋し余蘊無し。然れども此の意も亦当に参互して之を得べし。
現代語訳
われわれが学問をするには、まず自ら、学問に入ったときの初心がどのようなものであったかを問うべきである。その心は、必ず学んで君子になろうと望むものであるか、そうでないか。ここで向かう方向を一度誤れば、毎日この学問に従事したとしても、一生何も得るところがない。ただ得るところがないばかりか、かえって傲慢を増長させ、過ちを取り繕う材料にしかならない。だから学問に入るときの初心こそが、進む道の分かれるところなのである。思うに、その心がほんとうに君子になろうと望むことにあって、志と願いが切実で、他の思いがまったくなければ、学問をする根本が立つ。そうしてこそ学問に入ることができる。この志を持ったからには、自ずから身を慎み整え、あえて不善をなすことはない。ただ心の霊妙な光がまだ行き渡らず、物事に疑い迷うことが多いので、父や兄に尋ね、友人たちに相談しないわけにはいかない。そして父兄や友人たちが私を教え助けてくれることは、みな私がまだ考え及ばなかったことである。そこで敬ってこれを聴き、信じてこれに従う。こうして身には誤った行いが少なくなり、事には過った振る舞いが少なくなる。これがすでに学問なのである。要するに、私の志が行き着いたところなのである。とはいえ、父兄や友人たちには尋ねて相談することができるが、聖人・賢人や先の哲人については、今となっては直接その言葉を聞くすべがない。どうしてもさらに進んで、その益を得たいと願う。そこで良い師を求めて学ぶのである。師たる者は、教えるのにその方法に背かず、導くのにその順序を誤らない。私はその指導をよく聴いて古人の教えに学び、人が一度でできることを自分は百度行い(中庸)、繰り返し熟考して、入れば入るほど深く、進めば進むほど遠くに至る。思うに、その道理の精密で奥深く妙なるところは、まことに平凡なものからかけ離れたものがある。敬ってこれを奉じ、信じてこれを固く守り、我が身に照らして心に省み、事に習熟して物事の中に察する。すると聡明さは日ごとに開け、義理は日ごとに明らかになる。動いているときも静かなときも、語るときも黙っているときも、ここにおいて節度にかなうようになり、事を処し人や物に接するにも、ここにおいて安らかに適うようになる。そして特に、進歩し悟るところがあって、それが以前の単に何倍にもとどまらないことを実感する。これこそ学問のあるところであり、要するにこれもまた私の志が行き着いたところである。そうであるならば、はじめに父兄の口から聞いたことは、書物を読むのと同じであり、後に聖賢の遺した教えから得たことは、直接面と向かって命じられるのと同じである。どれも私の志から求めたものである。だから君子になろうとする志がますます切実になり、聖賢の後に付き従って人の道を尽くそうと期するならば、自分自身に求めること、すなわち人欲を去って天理を保つための工夫は、すでに行き届かないところがなくなり、父兄や師友から、草刈りや木こりのような身近な人の何気ない言葉に至るまで、自ずから問わずにはいられない。聖賢の遺した教えから、諸子や史書、先哲の書物に至るまで、自ずから熟読して深く考えずにはいられない。ついには、その勢いよく流れて止めることのできないものは、どれも私の一つの志が流れ注いだものでないものはない。これこそが学問をする方向の正しい道である。ところが世の中で、耳で聞いて口で語るだけのものを学問としている者は、学問に入る志がすでに誤っている。だからその弊害も、わずかに益がないというだけにとどまらない。先賢の立志についての教えは、おそらく言い残したところがない。しかしこの文の趣旨もまた、それらと照らし合わせて会得するべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・学而篇子曰く、「君子重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ、過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。」
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『慎思録』巻之二学を為すは、志を立つるを以て本と為す。志を立つるとは、君子と為らんと欲するなり。故に楊子曰く、学は君子と為らんことを求むる所以なり、と。篤信謂ふ、古今の人の学を為して、其の行ひと学ぶ所と相乖戻する者多し。君子と為らんと欲せざるに因るなり。
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『格言聯璧』持躬類・此の日閑に過すは二の可惜此の生學ばざるは一の可惜、此の日閑に過すは二の可惜、此の身一たび敗るるは三の可惜。 君子の胸中に常に體する所は、是れ人情にあらずして是れ天理なり。 君子の口中に常に道ふ所は、是れ人倫にあらずして是れ世教なり。 君子の身中に常に行ふ所は、是れ規矩にあらずして是れ準繩なり。
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『酔古堂剣掃』集法・君子に三惜有り君子に三惜有り。此の生學ばざる、一の惜しむべきなり。此の日聞過する、二の惜しむべきなり。此の身一たび敗るる、三の惜しむべきなり。
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『格言聯璧』敦品類・秀才と做りては處子の如くす小人の上に事ふるや、必ず諂ひ必ず媚び、其の下を待つや、必ず傲りて以て忽せにす。 朝に立ちて是れ好き舍人ならざるは、家に居りしより是れ好き處士ならざればなり。 平素是れ好き處士ならざるは、則ち小さき時是れ好き學生ならざればなり。 秀才と做りては處子の如く、人を怕るるを要す。
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『慎思録』巻之三古の君子は、己の為にして学び、人の為にして仕ふ。所謂己の為にして学ぶとは、己を修めて身を成さんと欲するなり。人の為にして仕ふとは、人を治めて国を利せんと欲するなり。後の士人は則ち然らず。人の為にして学び、己の為にして仕ふ。所謂人の為にして学ぶとは、人の己を知らんことを欲するなり。己の為にして仕ふとは、身を利せんと欲するなり。故に古の君子は、窮すれば則ち独り其の身を善くし、達すれば則ち兼ねて人を済ふ。後の士人は、窮すれば則ち憂欝怨尤し、達すれば則ち驕奢淫佚す。夫れ君子の為す所は、窮通皆斯の道に志有り。小人の為す所は、窮通皆其の利に志有り。此れ乃ち舜跖の分かるる所なり。大凡君子と小人と、其の為す所毎に相反する者は、此の由を職とす。
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