言志四録 / 言志後録 第二百三十二条 訓詁は漢唐を用ふるも妨げ無し
學苟原本濂洛。訓詁則假令用漢唐亦無妨。試思之。古今無訓孝字爲逆親。訓忠字爲叛君者。
新字:学苟原本濂洛。訓詁則仮令用漢唐亦無妨。試思之。古今無訓孝字為逆親。訓忠字為叛君者。
書き下し
学苟も濂洛に原本すれば、訓詁は則ち仮令漢唐を用ふるも亦妨げ無し。試みに之を思へ。古今孝の字を訓じて親に逆ふと為し、忠の字を訓じて君に叛くと為す者無し。
現代語訳
学問がもし周敦頤・程顥・程頤(濂洛の学)に根本を置いているならば、字句の解釈はたとえ漢や唐の学者のものを用いても差し支えない。試みに考えてみよ。昔から今まで、「孝」の字を親に逆らうことと解釈し、「忠」の字を君に背くことと解釈した者はいないのである。
解説
濂洛とは、周敦頤(濂渓)と程顥・程頤(洛陽)の学、つまり宋学の源流を指します。一斎は、学問の根本さえ宋学に置いていれば、一字一句の意味の解釈は漢・唐の古い注釈を使っても構わないと言います。当時は、宋学の注を絶対とする立場と、漢唐の古注を重んじる考証学の立場が対立していました。一斎は、孝を親に逆らうこと、忠を君に背くことと解釈した学者は古今一人もいないと例を挙げ、根本の道理においては学派の違いは小さいと示します。朱子学と陽明学の間に立った一斎らしい、学派にとらわれない柔軟な姿勢です。流派の違いにこだわるより、根本で何を大事にしているかを見る視点を与えてくれる条です。
この章句が説くこと
経学訓詁学派根本
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