言志四録 / 言志後録 第二百五十二条 夜間の夢と感夢
夜間形閉而氣專於內。則成夢。凡晝間所爲。皆可以現象。不止周官六夢也。如前所說。亦就善妄以擧其一端。不必拘事象也。然天地與我同一氣。而數理則前定矣。故偶有幾洩於前以入兆朕者。謂之感夢。心淸胸虛者多感夢。常人或尠矣。
新字:夜間形閉而気専於内。則成夢。凡昼間所為。皆可以現象。不止周官六夢也。如前所説。亦就善妄以挙其一端。不必拘事象也。然天地与我同一気。而数理則前定矣。故偶有幾洩於前以入兆朕者。謂之感夢。心清胸虚者多感夢。常人或尠矣。
書き下し
夜間は形閉ぢて気内に専らなれば、則ち夢を成す。凡そ昼間為す所は、皆以て象を現はす可し。周官の六夢に止まらざるなり。前に説く所の如きも、亦善妄に就きて以て其の一端を挙ぐるのみ、必ずしも事象に拘らざるなり。然れども天地と我とは同一の気にして、数理は則ち前定す。故に偶々幾の前に洩れて以て兆朕に入る者有り、之を感夢と謂ふ。心清く胸虚しき者は感夢多く、常人は或いは尠し。
現代語訳
夜の間は体が閉じて気が内側に集まるので、夢となる。およそ昼間に行ったことは、どれも夢に姿となって現れうる。『周礼』の六夢にとどまるものではない。前の条で述べたことも、善い思いとみだらな思いについてその一端を挙げたにすぎず、必ずしも夢に現れる事柄の姿にこだわる必要はない。しかし天地と自分とは同じ一つの気でできており、物事の定まりはあらかじめ決まっている。だから、たまたま物事の兆しが事前に漏れ出て夢のきざしに入り込むことがあり、これを感夢という。心が清く胸の内がむなしく澄んでいる者には感夢が多く、普通の人にはあるいは少ない。
解説
前条に続き、夢の成り立ちを気の理論で説明した条です。夜は形体が閉じて気が内にこもるため、昼の行いがさまざまな象となって現れる。前条の善夢・悪夢の説は一例であって、夢の中身に一々こだわる必要はない、と一斎は補います。そのうえで、天地と人は同じ気でつながり、物事の数理は前もって定まっているので、兆しが先に漏れて夢に入ることがある、それが感夢だと言います。言志録第一条の「其の数皆前定す」という考えがここにも通っています。心が清く澄んだ人ほど物事の兆しを感じ取りやすいという指摘は、夢に限らず、先を読む感覚は心の曇りの少なさに左右されるという話としても読めます。
この章句が説くこと
夢気兆し虚心前定
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