言志四録 / 言志後録 第二百四十九条 人を評するは七分の是
凡評論古今人。不得不是非。然宜擧其長處以形其短處。又十中七揭是。十中三黜非。亦忠厚。
新字:凡評論古今人。不得不是非。然宜挙其長処以形其短処。又十中七掲是。十中三黜非。亦忠厚。
書き下し
凡そ古今の人を評論するには、是非せざるを得ず。然れども宜しく其の長処を挙げて以て其の短処を形はすべし。又十中七は是を掲げ、十中三は非を黜く、亦忠厚なり。
現代語訳
およそ昔や今の人物を評論するときは、良し悪しを論じないわけにはいかない。しかし、その人の長所を挙げることによって、おのずと短所が浮かび上がるようにするのがよい。また、十のうち七は良い点を掲げ、十のうち三は悪い点を退けるようにするのも、まごころがあり手厚いやり方である。
解説
人物を評するときの作法を説いた条です。評論する以上、良し悪しに触れないわけにはいかない。けれども短所を直接あげつらうのではなく、長所を挙げることで短所が自然と浮かび上がるようにせよ、と一斎は言います。さらに比重は是が七、非が三。そうした評し方を「忠厚」、すなわち誠実で人情に厚い態度だとしています。批判の正確さよりも、評する側の心の置き方を問うている点が特徴です。部下の評価面談やフィードバック、人物評を書く場面で、どの順番で何を語るかを考えるとき、そのまま使える比率として参考になります。
この章句が説くこと
人物評長所忠厚フィードバック人を見る目
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