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葉隠 / 聞書第一

人に意見をし、諸人一味同心に主君の御用に立つが大慈悲なり。人に意見をして疵を直すと云ふは大切の事、大慈悲、御奉公の第一にて候。意見の仕様、大いに骨を折ることなり。人の上の善惡を見出すは安き事なり。それを意見するも安き事なり。大かたは、人の好かぬ云ひ憎き事を云ふが親切のやうに思ひ、それを請けねば力に及ばざる事と云ふなり。何の益にも立たず。人に恥をかかせ、惡口すると同じ事なり。我が胸はらしに云ふまでなり。意見と云ふは、先づ其の人の請くるか請けぬかの氣を見分け、入魂になり、此方の言葉を兼々信仰ある樣に仕なしてより、好きの道などよりぼつぼつ引入れ、云ひ樣種々に工夫し、時節を考へ、或は文通、或は暇乞などの折から、我が身の惡事を申出し、云はずしても思ひ當る樣にか、先づよき處を褒め立て、氣を引立て工夫し、渇く時水飲む樣に請合はせ、疵直るが意見なり。殊の外仕にくきものなり。年來の惡事、大體にて直らず、我が身にも覺えあり。諸朋輩兼々入魂をし僻を直し、一味同心に御用に立つ所なれば御奉公大慈悲なり。然るに恥を與へては何しに直り申すべきや。

新字:人に意見をし、諸人一味同心に主君の御用に立つが大慈悲なり。人に意見をして疵を直すと云ふは大切の事、大慈悲、御奉公の第一にて候。意見の仕様、大いに骨を折ることなり。人の上の善悪を見出すは安き事なり。それを意見するも安き事なり。大かたは、人の好かぬ云ひ憎き事を云ふが親切のやうに思ひ、それを請けねば力に及ばざる事と云ふなり。何の益にも立たず。人に恥をかかせ、悪口すると同じ事なり。我が胸はらしに云ふまでなり。意見と云ふは、先づ其の人の請くるか請けぬかの気を見分け、入魂になり、此方の言葉を兼々信仰ある様に仕なしてより、好きの道などよりぼつぼつ引入れ、云ひ様種々に工夫し、時節を考へ、或は文通、或は暇乞などの折から、我が身の悪事を申出し、云はずしても思ひ当る様にか、先づよき処を褒め立て、気を引立て工夫し、渇く時水飲む様に請合はせ、疵直るが意見なり。殊の外仕にくきものなり。年来の悪事、大体にて直らず、我が身にも覺えあり。諸朋輩兼々入魂をし僻を直し、一味同心に御用に立つ所なれば御奉公大慈悲なり。然るに恥を与へては何しに直り申すべきや。

書き下し

人に意見をし、諸人(しょにん)一味同心(いちみどうしん)に主君の御用に立つが大慈悲(だいじひ)なり。人に意見をして疵(きず)を直すと云うは大切の事、大慈悲、御奉公の第一にて候。意見の仕様(しよう)、大いに骨を折ることなり。人の上(うえ)の善悪を見出(みいだ)すは安き事なり。それを意見するも安き事なり。大かたは、人の好かぬ言い憎(にく)き事を云うが親切のように思い、それを請(う)けねば力に及ばざる事と云うなり。何の益にも立たず。人に恥をかかせ、悪口(あっこう)すると同じ事なり。我が胸はらしに云うまでなり。意見と云うは、まずその人の請くるか請けぬかの気を見分け、入魂(じっこん)になり、此方(こなた)の言葉を兼々(かねがね)信仰(しんこう)ある様に仕(し)なしてより、好きの道などよりぼつぼつ引入(ひきい)れ、云い様(よう)種々(しゅじゅ)に工夫し、時節を考え、或(あるい)は文通、或は暇乞(いとまごい)などの折から、我が身の悪事を申出(もうしい)だし、云わずしても思い当る様にか、まずよき処を褒め立て、気を引立て工夫し、渇(かわ)く時水飲む様に請合(うけあ)はせ、疵直るが意見なり。殊(こと)の外仕(し)にくきものなり。年来(ねんらい)の悪事、大体にて直らず、我が身にも覚えあり。諸朋輩(しょほうばい)兼々入魂をし僻(ひが)みを直し、一味同心に御用に立つ所なれば御奉公・大慈悲なり。然(しか)るに恥を与えては何しに直り申すべきや。

現代語訳

人に意見して、皆が心を一つにして主君の役に立つようにするのが、大きな慈悲である。人に意見してその欠点を直させるのは大切なことで、最上の慈悲であり、奉公の第一だ。ただし意見の仕方には、大いに骨を折らねばならない。人の善し悪しを見つけ出すのはたやすい。それを口に出して意見するのもたやすい。たいていの者は、相手の嫌がる言いにくいことをずばりと言うのが親切だと思い込み、それを受け入れなければもう仕方がない、と言う。だがそれでは何の役にも立たない。恥をかかせ、悪口を言うのと同じで、自分の胸のうさ晴らしにすぎない。本当の意見とは、まず相手がそれを受け入れる気があるかどうかを見極め、親しく打ち解け、日ごろから自分の言葉を信頼してもらえるようにしておいてから、相手の好きな話題からぼつぼつ引き入れ、言い方をあれこれ工夫し、時機を選び、あるいは手紙で、あるいは別れ際の折に、自分自身の失敗をまず持ち出して、直接言わずとも相手が自分で思い当たるようにするか、まずよい点を褒めて気を引き立て、乾いたときに水を飲むように自然に受け入れさせ、そうして欠点が直ってこそ意見と呼べる。これはことのほか難しい。長年の欠点はそう簡単には直らない――それは自分にも覚えがある。仲間どうしが日ごろから親しく付き合って互いの偏りを直し、心を一つにして役に立つ、それこそが奉公であり大慈悲だ。それを、恥をかかせるようなやり方で、どうして直せるだろうか。

解説

人に意見し、欠点を直させることを「大慈悲」と呼びながら、その難しさと作法を丁寧に説いた一条です。人の欠点を見つけて指摘するのは簡単だ、と常朝は言います。難しいのは、相手が本当に受け入れて直すところまで導くこと。言いにくいことをずばり言うのを親切と思うのは思い違いで、それは自分のうさ晴らしにすぎず、恥をかかせて反発を招くだけだ、と。まず信頼関係を築き、時機と言い方を選び、自分の失敗を先に語り、よい点を褒めて気を引き立て、相手が「渇いて水を飲むように」自然に受け入れる――そこまでして初めて意見は実る、というのです。現代のフィードバック論やコーチングにそのまま通じる知恵です。正しさをぶつけるだけでは人は変わらない。相手が動きたくなる関係と伝え方を整えることこそ、真の親切だと教えます。

この章句が説くこと

意見フィードバック信頼関係伝え方大慈悲恥をかかせない

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