尚書 / 酒誥
人無於水監,當於民監
新字:人無於水監,当於民監
書き下し
人は水に監る無く、当に民に監るべし。
現代語訳
人は自分の姿を映すのに水を鏡としてはならず、民の声を鏡とすべきである。
解説
自分の姿を確かめるのに水面ばかり見つめるのではなく、周りの人々の反応を鏡とすべきだという教えである。自分では気づけない振る舞いの癖や思い込みも、身近な人の声や表情には案外はっきりと映し出されていることが多い。狭い自己満足の中に閉じこもるのではなく、他者からの率直な言葉を素直に受け止める姿勢こそが、自分を正しく知るための確かな手がかりになる。
この章句が説くこと
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