韓非子 / 安危第二十五
故甚病之人利在忍痛,猛毅之君以福拂耳。忍痛,故扁鵲盡巧;拂耳,則子胥不失,壽安之術也。病而不忍痛,則失扁鵲之巧;危而不拂耳,則失聖人之意。
新字:故甚病之人利在忍痛,猛毅之君以福払耳。忍痛,故扁鵲尽巧;払耳,則子胥不失,寿安之術也。病而不忍痛,則失扁鵲之巧;危而不払耳,則失聖人之意。
書き下し
病みて痛みを忍ばざれば、則ち扁鵲の巧を失い、危うくして耳に拂らざれば、則ち聖人の意を失う。
現代語訳
病人が(治療の)痛みを我慢できなければ、名医(扁鵲)の技術を(受ける機会を)失う。危機にある君主が(耳に痛い忠言に)耐えられなければ、賢人(聖人)の助言を(受ける機会を)失う。
解説
重い病にかかった人が治療の痛みを我慢できなければ、名医であっても腕を振るう機会を失います。同じように、危機にある主が耳の痛い忠告に耐えられなければ、賢い人の助言を受ける機会を失ってしまう、という意味です。本当に効く薬や忠告というものは、たいてい聞いていて心地よいものではありません。健康診断で生活習慣を改めるよう言われて耳を塞いだり、友人や家族からの率直な忠告を「うるさい」と遠ざけたりすれば、症状が軽いうちに手を打つ機会を自ら手放すことになります。苦い忠告を我慢して受け止められるかどうかが、後で取り返しのつかない事態を防げるかどうかの分かれ目なのです。
この章句が説くこと
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