言志四録 / 言志後録 第二百三十五条 真贋を問はず言を取る
宋代創武經七書之名。除孫呉外。都屬僞贋。但其言之可取。不必問眞贋可也。如近世兪戚諸著亦有實得。
新字:宋代創武経七書之名。除孫呉外。都属偽贋。但其言之可取。不必問真贋可也。如近世兪戚諸著亦有実得。
書き下し
宋代武経七書の名を創む。孫・呉を除く外、都て偽贋に属す。但だ其の言の取る可きは、必ずしも真贋を問はずして可なり。近世の兪・戚の諸著の如きも亦実得有り。
現代語訳
宋の時代に「武経七書」という名が作られた。孫子と呉子を除けば、ほかはすべて偽作に属する。ただし、その言葉に取るべきところがあれば、必ずしも本物か偽物かを問わなくてよい。近世の兪大猷や戚継光の著作なども、また実際に得るところがある。
解説
武経七書は、宋の時代に武学の教科書として定められた七つの兵書です。一斎は、孫子と呉子以外は後世の偽作だと見ています。そのうえで、言葉に取るべきものがあれば真贋を問う必要はないと言います。前々条で書経の真偽論争に厳しい態度を示したのとは対照的ですが、経書は信仰に近い拠りどころ、兵書は実用の書という違いがあるのでしょう。さらに、明代に倭寇と戦った兪大猷や戚継光の兵書も、実戦の経験に基づく実のあるものとして評価しています。古典の権威にとらわれず、近い時代の実践の記録にも学ぶ姿勢です。情報の出どころより中身の有用性を見るという、実務的な読み方を示す条です。
この章句が説くこと
兵法読書真贋実用
関連する章句
-
言志四録・言志後録 第二百三十三条 兵書も一たび渉るべし兵書も亦宜しく一たび渉るべし。孫・呉固より佳なり。孫子の筆鋒は、兵法と亜ぐ。但だ書を著すに意有り。呉子は較著実なり。
-
言志四録・言志耋録 第二百二十四条 古書は悉くは信ずべからず古書は固より宜しく信ずべし。而も未だ必ずしも悉く信ずべからざる者有り。余嘗て謂ふ、在昔通用の器物は、当時其の形状を筆記する者無し。歴年の久しきに至りて、其の器も亦乏し。而して人或いは其の後に及びて真を失はんことを慮り、因りて之を記録し、之を図画して、以て諸を後に貽す。然れども其の時に至れば、則ち記録図画も、亦既に頗る繆伝有るなり。書籍に至りても、儀礼・周官の如きは、亦此と相類す。蓋し周季の人、古礼の将に泯びんとするを憫み、其の聞く所を記録して、以て諸を後に貽す。其の間に全くは信ずべからざる者有るは、古器物の形状の紕繆有ると同一の理なり。之を周公の著す所と謂ふに至りては、則ち固より妄誕にして論ずる亡きのみ。
-
言志四録・言志後録 第百五十条 武事は武芸に在らず武事は専ら武芸に在らず。文学は必ずしも文籍に在らず。
-
言志四録・言志耋録 第四条 註も亦経なり漢唐の経を註する、註は即ち註なり。宋賢の経を註する、註は亦経なり。読む者の宜しく精究すべき所なり。但だ過ぎて註文に泥めば、則ち又経旨に於て自得する無し。学者知らざるべからず。
-
言志四録・言志録 第二百三十五条 意味は我が心を以て透入す経書の文字は、文字を以て之を注明するは可なり。意味は則ち当に我が心を以て透入して之を得べし。畢竟文字を着くる能はず。
-
言志四録・言志耋録 第二百二十六条 先づ経に熟して後に註学生の経を治むるは、宜しく先づ経に熟して、而る後に諸を註に求むべし。今は皆註に熟して、経に熟せず。是を以て深意を得ず。関尹子曰く、「善く弓する者は、弓を師として、羿を師とせず。善く舟する者は、舟を師として、奡を師とせず」と。此の言然り。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る