言志四録 / 言志後録 第百五十条 武事は武芸に在らず
武事不專在武藝。文學不必在文籍。
新字:武事不専在武芸。文学不必在文籍。
書き下し
武事は専ら武芸に在らず。文学は必ずしも文籍に在らず。
現代語訳
武の道は、武芸だけにあるのではない。学問は、必ずしも書物の中にだけあるのではない。
解説
文武それぞれの本質は、その技術や道具の外にあると説いた短い一条です。武事とは剣術や弓馬の腕前だけでなく、胆力や判断力、兵を率いる器量、平時の備えまでを含むものです。同じく学問も、書物を読み文字を操ることだけではなく、日々の行いや人との交わり、事に当たる中にこそある、と一斎は言います。前に出た「事に臨む時は活書を読む」の条にも通じる考えです。泰平の世が続き、武士の武芸が形式化し、学問が訓詁や詩文に偏りがちだった時代への批判も込められているでしょう。資格や専門知識、スキルの習得は大切ですが、それだけで仕事ができるわけではありません。自分の専門の本当の中身は何かを問い直すきっかけになります。
この章句が説くこと
文武本質実践学問技術
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