導師導古典を学びたいすべての人に

言志四録 / 言志晩録 第六十四条 我が党、渠が窠臼に墜つる勿れ

漢儒訓詁之傳。與宋賢心學之傳。地頭不同。况於淸人考據一派。眞是漢儒輿儓。比諸宋賢所爲。負焉不同。我黨勿墜渠窠臼。可。

新字:漢儒訓詁之伝。与宋賢心学之伝。地頭不同。況於清人考拠一派。真是漢儒輿儓。比諸宋賢所為。負焉不同。我党勿墜渠窠臼。可。

書き下し

漢儒訓詁の伝と、宋賢心学の伝とは、地頭同じからず。況んや清人考拠の一派に於てをや。真に是れ漢儒の輿儓なり。諸を宋賢の為す所に比すれば、負焉として同じからず。我が党、渠が窠臼に墜つること勿くして、可なり。

現代語訳

漢代の儒者の字句の解釈の伝統と、宋代の賢人たちの心の学問の伝統とは、立っている場所が違う。まして清朝の考証学の一派においてはなおさらである。まことに漢儒の下僕にすぎない。これを宋の賢人たちの営みに比べれば、まるで比べものにならない。我々の仲間は、彼らの型にはまった旧套に落ち込まないのがよい。

解説

学問の系譜を三つに分けて位置づけた条です。漢代の儒者は経書の字句の意味を注釈する訓詁の学を伝え、宋代の周濂渓・程子・朱子らは心を修める学を伝えました。両者は拠って立つ地盤からして違います。さらに清朝の考証学は、漢儒の訓詁をさらに細かく追うだけのもので、一斎は「漢儒の輿儓」、つまり下働きの者にすぎないと手厳しく評します。考証学は当時の日本でも流行し始めていました。一斎が求めるのは、書物の細部を調べることではなく、それによって自分の心と行いを正すことでした。前後の条でも考証の瑣末さへの批判が続きます。調べることが目的化していないか、分析のための分析になっていないかを問う視点として読めます。

この章句が説くこと

訓詁心学考証学学問の目的旧套

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る