言志四録 / 言志後録 第二百三十一条 尚書を妄りに沙汰せず
尙書亦有古今文而今之所傳。即古文經。無可疑。宋以後信疑分曹。近世閻若璩著疏證。而毛奇齡寃之。是也。凡五經中確言之夥。莫若此經。乃妄沙汰之。不翅非尊經之道。而更有非經之罪。
新字:尚書亦有古今文而今之所伝。即古文経。無可疑。宋以後信疑分曹。近世閻若璩著疏証。而毛奇齢冤之。是也。凡五経中確言之夥。莫若此経。乃妄沙汰之。不翅非尊経之道。而更有非経之罪。
書き下し
尚書も亦古今文有りて、今の伝はる所は、即ち古文経なり。疑ふ可き無し。宋以後、信疑曹を分つ。近世閻若璩疏証を著して、毛奇齢之を冤とす。是なり。凡そ五経中確言の夥しきは、此の経に若くは莫し。乃ち妄りに之を沙汰するは、翅に経を尊ぶの道に非ざるのみならず、更に経を非るの罪有り。
現代語訳
『尚書(書経)』にもまた古文と今文とがあるが、今伝わっているのは古文の経であり、疑うべきところはない。宋以後、信じる者と疑う者とが分かれた。近ごろ閻若璩が『尚書古文疏証』を著して偽作と論じ、毛奇齢はそれを冤罪だと反論した。毛奇齢が正しい。およそ五経の中で確かな言葉が多いことでは、この経に及ぶものはない。それなのにみだりにこれを選り分けて退けるのは、経を尊ぶ道でないばかりか、さらに経をそしる罪がある。
解説
『書経』のうち古文で伝わる篇が後世の偽作かどうかは、宋代から論争になっていました。清の閻若璩は『尚書古文疏証』で偽作説を論証し、毛奇齢は『古文尚書冤詞』でこれに反論しました。一斎は毛奇齢の側に立ち、書経ほど確かな言葉の多い経書はないのだから、みだりに真偽を選り分けるのは経をそしることになると言います。なお今日の学界では、閻若璩の偽作説がおおむね支持されています。一斎の立場には、経書を人の生き方の拠りどころとして尊ぶ儒者の信念が表れています。考証の正確さと、古典から学ぶ態度をどう両立させるか。何を疑い何を信じるかという問題を考える材料になる条です。
この章句が説くこと
経学書経考証尊経
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