言志四録 / 言志後録 第二百十七条 老いて従容を失はず
人至老境。體漸懶散。而氣太急促。往往爲人所厭。余視此爲鑑。齡踰六十後。尤著功要氣不失從容。然未能也。
新字:人至老境。体漸懶散。而気太急促。往往為人所厭。余視此為鑑。齢踰六十後。尤著功要気不失従容。然未能也。
書き下し
人老境に至れば、体漸く懶散にして、気太だ急促なり。往往人の厭ふ所と為る。余此を視て鑑と為す。齢六十を踰えて後、尤も功を著けて気の従容を失はざらんことを要す。然れども未だ能はざるなり。
現代語訳
人は老境に入ると、体はだんだん怠けてだらしなくなるのに、気持ちはひどくせっかちになる。そのためしばしば人に嫌われる。私はこれを見て戒めとしてきた。六十歳を過ぎてからは、とりわけ工夫をこらして、気持ちのゆったりした落ち着きを失わないように努めている。しかし、まだそうできていない。
解説
老いの姿を鋭く観察した条です。年をとると体は思うように動かなくなるのに、心はかえって急かせかとして短気になり、周りから疎まれる。一斎は他の老人の姿を鏡として、六十を過ぎてからは気持ちの「従容」、つまりゆったりとした落ち着きを保つよう努めてきたと言います。そのうえで「然れども未だ能はざるなり」と、できていないことを正直に認めています。この率直さこそ、四十年にわたって自分を見つめ続けた一斎らしいところです。年長者やベテランが焦りや苛立ちを周囲にぶつけていないか。経験を重ねた人ほど、自分の余裕のなさに気づきにくいことを思わせる一条です。
この章句が説くこと
老い従容自省気質
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