言志四録 / 言志後録 第二百十条 識量と知識
識量與知識自別。知識在外。識量在內。
新字:識量与知識自別。知識在外。識量在内。
書き下し
識量と知識とは自ら別なり。知識は外に在り、識量は内に在り。
現代語訳
識量と知識とは、おのずから別のものである。知識は外にあり、識量は内にある。
解説
知識と識量を区別した短い条です。知識は書物や見聞から外に向かって得る情報や知見であり、増やそうと思えば積み上げることができます。これに対し識量は、物事を見抜く見識と、それを受け止める度量をあわせたもので、内面の修養によって養われるものです。どれほど知識が豊富でも、何が大事かを見分け、異なる意見や困難を受け入れる器がなければ、知識は生かされません。一斎は別の条で「博聞強記」を聡明の横、「精義入神」を縦とも述べていますが、ここでも内に深まる力を重く見ています。情報を集めることと判断する力を育てることは別の仕事だと、改めて考えさせる一条です。
この章句が説くこと
知識識量見識度量内省
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