言志四録 / 言志後録 第二百九条 文を能くして文人と為らず
應酬文詩。畢竟供人翫弄。可羞之甚。顧亭林曰。能文不爲文人。能詩不爲詩人。此語太好。
新字:応酬文詩。畢竟供人翫弄。可羞之甚。顧亭林曰。能文不為文人。能詩不為詩人。此語太好。
書き下し
応酬の文詩は、畢竟人の翫弄に供す。羞づ可きの甚しきなり。顧亭林曰く、「文を能くして文人と為らず、詩を能くして詩人と為らず」と。此の語太だ好し。
現代語訳
付き合いのためにやりとりする詩文は、結局のところ人のもてあそびものに供されるだけである。はなはだ恥ずべきことである。顧亭林(顧炎武)は「文章をよくしても文人にはならず、詩をよくしても詩人にはならない」と言った。この言葉は大変よい。
解説
社交上の求めに応じて書く詩文を、一斎は人の慰みものになるだけだと厳しく退けます。儒者として名文家でもあった一斎は、多くの依頼に応じて序文や碑文を書いた人でもあり、自戒を込めた言葉と読めます。引かれる顧亭林は明末清初の学者顧炎武で、実用の学を重んじ、文人として名を売ることを戒めました。文章や詩の力はあっても、それを本業や肩書きにしない。文は道を明らかにし世に役立つためのもので、技そのものを誇るものではないという考えです。器用さで評判を得られる仕事ほど、自分は何のためにその技を使っているのかを問い直す手がかりになります。
この章句が説くこと
文章実学本分技芸
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