言志四録 / 言志後録 第二百三条 徳有る者は必ず言有り
朱子以經學掩文章。有德者必有言。如朱呂二家。眞是能文。
新字:朱子以経学掩文章。有徳者必有言。如朱呂二家。真是能文。
書き下し
朱子は経学を以て文章を掩ふ。徳有る者は必ず言有り。朱・呂の二家の如きは、真に是れ能文なり。
現代語訳
朱子(朱熹)は経学の名声によって、その文章の見事さが覆い隠されている。徳のある者には必ず立派な言葉がある。朱熹と呂祖謙の二人などは、まことに文章の名手である。
解説
朱子といえば経書の注釈で知られますが、一斎はその名声の陰に文章家としての力量が隠れていると指摘します。「徳有る者は必ず言有り」は『論語』憲問篇の言葉で、徳を備えた人の言葉には自然と重みと美しさがあるという意味です。朱熹と、その友人で『近思録』をともに編んだ呂祖謙を、真の名文家として挙げています。一斎自身、詩文に優れた儒者として知られましたが、文章を技巧ではなく人格の表れと見る考えがここにあります。報告書やメールでも、書き手の考えの筋や誠実さはおのずとにじみ出ます。言葉を磨くことと、中身を磨くことを切り離さないという見方を示す一条です。
この章句が説くこと
文章徳朱子学言葉
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