言志四録 / 言志晩録 第五十一条 文は意を達し詩は志を言ふ
文能達意。詩能言志。如此而已。綺語麗辭。比之佞口。吾曹所不屑焉。
新字:文能達意。詩能言志。如此而已。綺語麗辞。比之佞口。吾曹所不屑焉。
書き下し
文は能く意を達し、詩は能く志を言ふ。此くの如きのみ。綺語麗辞は、之を佞口に比す。吾が曹の屑しとせざる所なり。
現代語訳
文章は意を十分に伝えることができ、詩は志を言い表すことができる。それだけのことである。飾り立てた言葉や華麗な表現は、へつらいの口先になぞらえられる。我々の潔しとしないところである。
解説
「辞は達するのみ」(『論語』衛霊公篇)、「詩は志を言ふ」(『書経』舜典)という古典の言葉を踏まえた条です。文章の役目は意を伝えること、詩の役目は志を表すことであり、それ以上でも以下でもない。飾り立てた美辞麗句は、口先で人に取り入る佞口と同じだと一斎は退けます。前の条で詩文を芸として擁護した一斎ですが、その芸は内容を伝えるための芸であって、飾りのための芸ではないということです。報告書や企画書でも、言葉を飾るほど中身の薄さが透けて見えることがあります。伝えるべき意と志がはっきりしていれば、言葉は簡素でよい。書くときの基準として手元に置きたい言葉です。
この章句が説くこと
文章詩達意修辞誠実
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