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洗心洞箚記 / 卷上・第百一條

近來作文家、以溫潤含畜爲主、溫潤含畜、固是矣、然見其所立心、則與古之作者、何啻陵谷、古之作者、顧亭林所謂明道也、紀政事也、察民隱也、樂道人之善也、其曰明、曰紀、曰察、曰樂、則其事其理如黑白、不嘗朦朧也、而溫潤含畜有餘味、觀其文便可見矣、近來作文家、胸先橫利害之心、故朦朧其言以趨避焉、乃似溫潤含畜、而非溫潤含畜也、此弊豈啻近世、在晚宋亦然矣、

新字:近来作文家、以温潤含畜為主、温潤含畜、固是矣、然見其所立心、則与古之作者、何啻陵谷、古之作者、顧亭林所謂明道也、紀政事也、察民隠也、楽道人之善也、其曰明、曰紀、曰察、曰楽、則其事其理如黒白、不嘗朦朧也、而温潤含畜有余味、観其文便可見矣、近来作文家、胸先横利害之心、故朦朧其言以趨避焉、乃似温潤含畜、而非温潤含畜也、此弊豈啻近世、在晩宋亦然矣、

書き下し

近来の作文家は、温潤含畜を以て主と為す。温潤含畜は、固より是なり。然れども其の心を立つる所を見れば、則ち古の作者と、何ぞ啻に陵谷のみならんや。古の作者は、顧亭林の所謂道を明らかにするなり、政事を紀すなり、民の隠を察するなり、楽しみて人の善を道ふなり。其の明と曰ひ、紀と曰ひ、察と曰ひ、楽と曰ふは、則ち其の事其の理黒白の如く、嘗て朦朧ならざるなり。而して温潤含畜にして余味有り、其の文を観れば便ち見るべし。近来の作文家は、胸に先づ利害の心を横たふ、故に其の言を朦朧にして以て趨避す。乃ち温潤含畜に似て、温潤含畜に非ざるなり。此の弊豈に啻に近世のみならんや、晩宋に在りても亦然り。

現代語訳

近ごろ文章を作る人々は、穏やかで潤いがあり、含みを持たせることを主としている。穏やかで含みのあることは、もとより正しい。しかしその心の立て方を見ると、古の作者とは丘と谷ほどの違いどころではない。古の作者とは、顧亭林(顧炎武)のいわゆる「道を明らかにし、政事を記し、民の隠れた苦しみを察し、人の善を楽しんで語る」者である。明らかにする、記す、察する、楽しむと言うのだから、その事その理は白黒のようにはっきりしていて、ぼんやりしたことはない。それでいて穏やかで含みがあり余韻があることは、その文を見ればすぐ分かる。近ごろの文章家は、胸にまず利害の心を横たえているので、言葉をぼかして利を求め害を避ける。それは穏やかで含みがあるように見えて、そうではない。この弊害はどうして近世だけのことであろうか、宋の末(晩宋)の時代にもそうであった。

解説

長い条を二つに割った前半である。文章の含みや穏やかさそのものはよいが、当世の文人は利害を先に考えて言葉をぼかしているだけだ、と批判する。顧炎武が『日知録』で挙げた、道を明らかにし政事を記し民の苦しみを察し人の善を語るという文章の四つの務めを、古の作者の基準とする。ぼかしは保身であって含蓄ではないという指摘は、民の窮状を直言した中斎らしい。現代の報告書や社内文書でも、責任を避けるために曖昧に書かれた文章は多い。はっきり書くことは、書き手の心の立て方の問題である。

この章句が説くこと

文章誠利害直言顧炎武修己

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