言志四録 / 言志後録 第二百六条 辞は達するのみ
言語文章。一也。文宜師經。辭尙體要。周公也。辭達而已。孔子也。
新字:言語文章。一也。文宜師経。辞尚体要。周公也。辞達而已。孔子也。
書き下し
言語と文章とは一なり。文は宜しく経を師とすべし。「辞は体要を尚ぶ」は周公なり。「辞は達するのみ」は孔子なり。
現代語訳
話し言葉と書き言葉とは一つのものである。文章は経書を手本とするのがよい。「言葉は要点をつかむことを尊ぶ」と言ったのは周公であり、「言葉は意味が通じればそれでよい」と言ったのは孔子である。
解説
話すことと書くことを一つのものと見て、その手本を経書に求めた条です。「辞は体要を尚ぶ」は『書経』畢命篇の言葉で、言葉は要点を押さえることが大切だという意味です。一斎はこれを周公の教えとして引きます。「辞は達するのみ」は『論語』衛霊公篇の孔子の言葉で、言葉は意図が相手に伝わればそれで十分であり、飾り立てる必要はないという戒めです。要点をつかみ、伝わることを第一とする。この二つは今日の実務文書にもそのまま当てはまる原則です。資料や説明が長くなりがちなとき、何が要点か、相手に届いているかを確かめる物差しになる一条です。
この章句が説くこと
文章言葉簡潔要点経書
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『正法眼蔵随聞記』巻一宋土の寺院なんどには都て雑談をせざれば、其やうなること、をも云はざるなり、吾が国も近ごろ建仁寺の僧正存生の時は、一向あからさまにも此の如きの言語出来らず、滅後にも存世の時の弟子等、少々残りとヾまりたりし時は一切に云はざりき、近ごろ此の七八年より以来、今ま出の若き人たち時々談ずるなり、存外の次第なり、聖教の中にも麁强悪業令人覚悟無利言説能障正道とありて、只うち出して云処の言ばすら、無利の言説は障道の因縁なり況やかくの如きの言語は、ことばに引れて即ち心も起りつべし、最も用心すべきなり、故さらにかくなん云はじとせずとも、悪きことゝ知りなば漸々に退治すべきなり、
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