言志四録 / 言志後録 第二百四条 撃壌詩は道学の香山
擊壤詩。道學之香山也。耐警醒人。宜著意讀。
新字:撃壤詩。道学之香山也。耐警醒人。宜著意読。
書き下し
撃壌詩は、道学の香山なり。人を警醒するに耐ふ。宜しく意を著けて読むべし。
現代語訳
邵雍(邵康節)の『撃壌集』の詩は、道学における白居易(香山居士)のようなものである。人の目を覚まし戒めるに足る。よく心をとめて読むべきである。
解説
北宋の邵雍が詠んだ詩集『伊川撃壌集』を勧めた条です。邵雍は周敦頤や程顥・程頤と並ぶ宋学の先駆者で、易の数理に通じ、洛陽の隠者として安楽に暮らしました。その詩は平易な言葉で天理や日々の楽しみを詠んだもので、一斎はこれを平明な詩風で知られる白居易(号は香山居士)になぞらえ、「道学の香山」と呼びます。難解な理論ではなく、わかりやすい言葉だからこそ人をはっとさせる力がある、という評価です。大事な考えを伝えるときほど、平易な言葉のほうが相手の心に届くことがあります。伝え方を考えるうえでの手がかりになる一条です。
この章句が説くこと
詩道学平易警醒読書
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