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言志四録 / 言志晩録 第二十九条 宋学と称するのみ

博士家古來遵用漢唐註疏。至惺窩先生。始講宋賢復古之學。神祖甞深悅之。擧其門人林羅山。羅山承繼師傳。折中宋賢諸家。其說與漢唐殊異。故稱曰宋學而已。至於闇齋之徒。則抅泥過甚。與惺窩羅山稍不同。

新字:博士家古来遵用漢唐註疏。至惺窩先生。始講宋賢復古之学。神祖甞深悦之。挙其門人林羅山。羅山承継師伝。折中宋賢諸家。其説与漢唐殊異。故称曰宋学而已。至於闇斎之徒。則抅泥過甚。与惺窩羅山稍不同。

書き下し

博士家は古来漢唐の註疏を遵用す。惺窩先生に至りて、始めて宋賢復古の学を講ず。神祖嘗て深く之を悦び、其の門人林羅山を挙ぐ。羅山、師伝を承継し、宋賢諸家を折中す。其の説、漢唐と殊異なり。故に称して宋学と曰ふのみ。闇斎の徒に至りては、則ち拘泥すること過甚にして、惺窩・羅山と稍々同じからず。

現代語訳

朝廷の博士家は、古来、漢・唐の注釈を守って用いてきた。惺窩先生に至って、はじめて宋の賢人たちの古の道を復興する学問を講じた。神祖(徳川家康)はかつてこれを深く喜び、その門人の林羅山を登用した。羅山は師の伝えを受け継ぎ、宋の賢人諸家の説を折衷した。その説は漢・唐のものとは大いに異なっていた。だから宋学と称したまでである。山崎闇斎の門流に至っては、こだわり方がはなはだ過ぎて、惺窩や羅山とはやや同じでない。

解説

日本における宋学受容の歴史を簡潔にたどった条です。朝廷の博士家(清原家など)は漢唐の古注を守ってきたが、藤原惺窩が初めて宋学を講じ、徳川家康がこれを喜んで門人の林羅山を登用した。羅山は朱子一人に限らず宋の諸家を折衷したので、漢唐と区別して宋学と呼んだにすぎない、と一斎は言います。つまり林家の学は元来朱子一辺倒ではなかったという主張です。これに対し、朱子の説を厳格に守った山崎闇斎の学派は拘泥が過ぎ、惺窩・羅山とは異なるとします。林家の学問所で儒官を務めた一斎が、自らの寛やかな学風の根拠を示した条でもあります。原点に立ち返ると、後に固まった教条が見直せることがあります。

この章句が説くこと

宋学学統折衷教条林家

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