言志四録 / 言志後録 第百九十八条 人主の学は智仁勇
人主之學。在智仁勇三字。能自得之。不特終身受用不盡。而掀天揭地事業。可垂憲於後昆者。亦斷不出於此。
新字:人主之学。在智仁勇三字。能自得之。不特終身受用不尽。而掀天掲地事業。可垂憲於後昆者。亦断不出於此。
書き下し
人主の学は、智仁勇の三字に在り。能く自ら之を得れば、特に終身受用して尽きざるのみならず、而して天を掀げ地を掲ぐる事業の、憲を後昆に垂るべき者も、亦断じて此に出でず。
現代語訳
君主の学問は、智・仁・勇の三字にある。これを自ら体得できれば、一生用いても用い尽くせないだけでなく、天地をひっくり返すほどの大事業で、後の子孫に手本として遺すべきものも、決してこの三字の外に出ることはない。
解説
君主の学問の要を、『中庸』で天下の達徳とされる智・仁・勇の三字に絞った一条です。先に罪を裁く場面での智仁勇を論じていましたが、ここでは人の上に立つ者の学問全体をこの三字でくくっています。一斎は、これを自ら体得すれば一生使っても尽きず、天地を動かすような大事業で、後世の手本となるものも、この三字から外れることはないと言い切ります。多くの知識を広く学ぶことより、物事を見抜く智、人を思いやる仁、決断し実行する勇を、わが身に得ることが肝心だというのです。経営者やリーダーが何を学ぶべきか迷うとき、この三つに立ち返ることは簡潔な指針になるでしょう。
この章句が説くこと
智仁勇帝王学リーダーの資質学問中庸
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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