君子訓 / 巻之上
一眞西山曰、人の君たるもの、大學を知らずんばあるべからず。人の臣たるもの、大學を知らずんばあるべからずと言へり。君も臣も、身を修め國家天下を治むる道、大學の書にそなはれり。是を讀みて受用せずんばあるべからず。又中庸の九經に、身を修め人を治むる道備れり、考ふべし。此二書を能く讀みて、受用し行はゞ、外に求めずとも、其要は此うちにあるべし。
新字:一真西山曰、人の君たるもの、大学を知らずんばあるべからず。人の臣たるもの、大学を知らずんばあるべからずと言へり。君も臣も、身を修め国家天下を治むる道、大学の書にそなはれり。是を読みて受用せずんばあるべからず。又中庸の九経に、身を修め人を治むる道備れり、考ふべし。此二書を能く読みて、受用し行はゞ、外に求めずとも、其要は此うちにあるべし。
書き下し
一真西山曰、人の君たるもの、大学を知らずんばあるべからず。人の臣たるもの、大学を知らずんばあるべからずと言へり。君も臣も、身を修め国家天下を治むる道、大学の書にそなはれり。是を読みて受用せずんばあるべからず。又中庸の九経に、身を修め人を治むる道備れり、考ふべし。此二書を能く読みて、受用し行はば、外に求めずとも、其要は此うちにあるべし。
現代語訳
真西山は「人の君である者は大学を知らなければならない。人の臣である者も大学を知らなければならない」と言いました。君も臣も、身を修め国家天下を治める道は、大学の書に備わっています。これを読んで自分のものとして用いなければなりません。また中庸の九経にも、身を修め人を治める道が備わっているので、考えるべきです。この二書をよく読み、自分のものとして用い行えば、ほかに求めなくても、その要点はこの中にあるでしょう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷上童子曰く、甚だしいかな学問の大なるや。願はくは其の詳を聞かんと。曰く、宋明の儒先皆性を尽くすを以て極則と為して、学問の功の益大なることを知らず。殊に知らず、己の性は限り有りて、天下の道は窮まり無きことを。限り有るの性を以て、窮まり無きの道を尽くさんと欲す。則ち学問の功に非ざれば、得べからざるなり。此れ孔門の専ら教を貴ぶ所以なり。中庸に曰く、唯だ天下の至誠のみ、能く其の性を尽くすと為す。能く其の性を尽くせば、則ち能く人の性を尽くす。能く人の性を尽くせば、則ち能く物の性を尽くす。能く物の性を尽くせば、則ち以て天地の化育を賛くべし。以て天地の化育を賛くべければ、則ち以て天地と参なるべしと。所謂能く其の性を尽くすとは、吾が性の分内に就きて言ふ。其の人物の性を尽くして、天地の化育を賛くるに至りては、則ち亦た我が性を尽くすの推しと雖も、豈に徒らに我が性を尽くすのみならんや。夫れ人の我に与ける、体を異にし気を殊にして、其の疾痛病癢、皆相関らず。況んや人の物に与ける、類を異にし形を殊にす、何ぞ相干渉せん。財成輔相して天地の道に、万物をして各其の性を遂げしむと謂ふは、則ち可なり。之を我が性を尽くすと謂ひて、可ならんや。然らば則ち唯だ我が性を尽くすのみにして、学問の功に由るに非ずんば、得べからざること明らかなり。
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『酔古堂剣掃』集法・之を合すれば雙美晉人の清談、宋人の理學、晉人を以て俗を遺れ、宋人を以て躬を禔む。之を合すれば雙美、之を分かてば兩傷なり。
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言志四録・言志録 第百九十九条 心の智愚は学びて変ずべし人の受くる所の気、其の厚薄の分数は、大抵相若く。躯の大小、寿の脩短、力の強弱、心の智愚の如き、大いに相遠き者無し。其の間一処の受くること厚き者有れば、皆之を非常と謂ふ。非常は則ち姑く之を置く。常人の如きに就きては、躯と寿と力との分数は、之を奈何ともすべからず。独り心の智愚に至りては、学びて之を変化すべし。故に博く学び、審かに問ひ、慎みて思ひ、明らかに弁じ、篤く行ふ。人一たび十たびすれば、己は之を百たび千たびす。果たして此の道を能くせば、愚なりと雖も必ず明らかに、柔なりと雖も必ず強からん。以て漸く非常の域に進むべし。蓋し此の理有り。但だ常人は多く遊惰にして然ること能はず。豈に亦天に算籌有るか。
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『翁問答』下卷之本体充曰、十三経も書数おほく候て、凡夫の分にて皆まで学び候事及びがたく覚へ候そのうちにて一二巻まなび候て大綱の得心なりやすき書はおはしまさず候や。師の曰、本来易経一部をおしひろめたる十三経なれば、易経をよく学びたるがよろし、しかれども易経は簡奥玄妙にして、凡夫のとりいりなりがたきによつて、孝経、大学中庸を心にて心をよみよく学びぬれば大綱の得心なりやすし、三書学びて余力あるものは、其力とひまに随ひて語孟をまなぶべし、さて又余力あるものは十三経をみな学びたるがよし、
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『囲炉夜話』第二百一則・渾金璞玉の如し才有らば必ず韜藏す、渾金璞玉の如く、闇然として日に章かなり。 學を為すに間斷無し、流水行雲の如く、日に進みて已まざるなり。
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『童子問』卷下藉令堯舜に非ずとも、若し能く中庸の極に造りて、以て万世に師表たるに足る者有らば、夫子も亦必ず之を祖述せん。何ぞ必ずしも堯舜のみならんや。所謂文武を憲章する者も、亦是れなり。憲章とは、顕らかに之を表章するなり。亦祖述の謂ひなり。夫れ其の意に非ざれば、則ち之を祖述せず。其の意に非ざれば、則ち亦之を憲章せず。猶身堂上に在りて、堂下の人の直なる者を指して之を示すがごとし。故に曰く、其の之を祖述する者は、是れ自ら之を祖述するなり。其の之を憲章する者は、是れ自ら之を憲章するなり、と。其の伏犧・神農・黄帝を取らず、又少昊・顓頊・高辛を列せずして、独り堯舜を祖述するは、是れ夫子の独りする所にして、堯舜と雖も亦及ばざる所なり。故に堯舜を祖述するは、是れ其の堯舜より賢れる所以なり。子曰く、述べて作らず、と。又曰く、信じて古を好む、と。夫れ夫子の大聖を以てして、卒に自ら我より古を作らず。是れ孔子の本心にして、学問の極則なり。故に論語の子罕・堯曰の二篇、群聖を歴挙して、皆堯舜に始まりて文武に終はる。許行神農の言を為せば、則ち孟子も亦堯舜の天下を憂ふるを以て折衷す。中庸の夫子の徳を賛して、堯舜を祖述し文武を憲章すと曰ふ所以、其の意見るべし。而るに宋の諸大儒、或いは天皇・地皇・人皇を以て三皇と為し、庖犧・神農・黄帝・堯舜を以て五帝と為し、或いは別に伏犧・神農・黄帝・堯舜を以て列と為す。皆夫子の堯舜を祖述するの意を知らざるが故なり。
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