言志四録 / 言志後録 第百八十六条 己が一身は至宝
物有一而無二者爲至寶。如顧命赤刀大訓。天球河圖。皆有一而無二。故謂之寳。試思己一身亦是物。果有二否。人不知自重而寳愛之。亦弗思之甚。
新字:物有一而無二者為至宝。如顧命赤刀大訓。天球河図。皆有一而無二。故謂之宝。試思己一身亦是物。果有二否。人不知自重而宝愛之。亦弗思之甚。
書き下し
物の一有りて二無き者を至宝と為す。顧命の赤刀・大訓・天球・河図の如き、皆一有りて二無し。故に之を宝と謂ふ。試みに思へ、己が一身も亦是れ物なり、果たして二有りや否や。人自重して之を宝愛するを知らざるは、亦思はざるの甚だしきなり。
現代語訳
物のうち、一つだけあって二つとないものを至宝とする。『書経』顧命篇に見える赤刀・大訓・天球・河図などは、みな一つだけあって二つとない。だからこれを宝という。試みに考えてみよ。自分の一身もまた一つの物である。果たして二つあるだろうか。人が自らを重んじて宝として大切にすることを知らないのは、考えの足りないことのはなはだしいものである。
解説
『書経』顧命篇には、周の成王の葬儀に際して、赤刀・大訓・天球・河図などの宝物が並べられたことが記されています。それらが宝とされるのは、この世に一つしかないからです。一斎はそこから一転して、自分の身もまた二つとない物ではないかと問いかけます。唯一無二であることが宝の条件なら、自分の身こそ至宝であり、それを粗末に扱うのは考えが足りないというのです。ここでの自重は、身体を大切にすることにとどまらず、自分を安売りせず、恥ずべき行いで汚さないことも含むでしょう。無理を重ねて心身をすり減らしがちなとき、自分という替えのきかない存在をどう扱っているかを考えさせる一条です。
この章句が説くこと
自重身体唯一無二修身自愛
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