言志四録 / 言志録 第百六十四条 自ら規すに非ずして誰か規さん
少壯人精固閉而不少漏亦不可。神滯而不暢。過度則又自戕焉。故得節之爲難。飮食之過度。人亦或規之。淫欲之過度。人所不伺。且難言。非自規而誰規。
新字:少壮人精固閉而不少漏亦不可。神滞而不暢。過度則又自戕焉。故得節之為難。飲食之過度。人亦或規之。淫欲之過度。人所不伺。且難言。非自規而誰規。
書き下し
少壮の人、精固く閉ぢて少しも漏らさざるも亦不可なり。神滞りて暢びず。度を過ぐれば則ち又自ら戕ふ。故に之を節するを得るを難しと為す。飲食の度を過ぐるは、人も亦或は之を規す。淫欲の度を過ぐるは、人の伺はざる所にして、且つ言ひ難し。自ら規すに非ずして誰か規さん。
現代語訳
若く血気盛んな人が、精をかたく閉じ込めて少しも漏らさないのもまたよくない。精神が滞ってのびやかでなくなる。といって度を過ごせば、今度は自分を損なう。だから、ほどよく節することができるのは難しい。飲食の度を過ごすことは、他人も時には注意してくれる。しかし色欲の度を過ごすことは、他人のうかがい知らないところであり、しかも口に出して言いにくい。自分で自分を戒めるのでなければ、誰が戒めてくれようか。
解説
前の条に続いて、欲望の節度を論じています。一斎は禁欲一辺倒を説くのではなく、若い人が無理に抑え込みすぎれば精神が滞るとして、過不足のない「節」の難しさを率直に述べます。飲食の過ぎたるは人も注意してくれるが、色欲の過ぎたるは人から見えず、言いにくいことなので、結局は自分で律するしかない。人目の届かない領域こそ自己規律が試されるという点で、「慎独」を説いた条ともつながります。現代でも、働き方や休み方、心身の使い方など、他人が口を出しにくい領域は多いものです。誰も指摘してくれないところをどう自分で律するかを考えさせる一条です。
この章句が説くこと
節欲中庸自律養生慎独
関連する章句
-
孟子・離婁章句下孟子曰く、「仲尼は已甚だしきを為さざる者なり。」
-
孟子・盡心章句上孟子曰く、「楊子は我が為にするを取る。一毛を抜きて天下を利するも、為さざるなり。墨子は兼愛す。頂を摩し踵に放るも、天下を利するは之を為す。子莫は中を執る。中を執るは之に近しと為すも、中を執りて權すること無ければ、猶ほ一を執るなり。一を執るに惡む所の者は、其の、道を賊うが為なり。一を舉げて百を廢すればなり。」
-
論語・先進篇子貢問う、「師と商とは孰れか賢れる。」子曰く、「師や過ぎたり、商や及ばず。」曰く、「然らば則ち師愈れるか。」子曰く、「過ぎたるは猶お及ばざるがごとし。」
-
孟子・公孫丑章句上孟子曰く、「伯夷は其の君に非ざれば事えず。其の友に非ざれば友とせず。惡人の朝に立たず。惡人と言(ものいう)わず。惡人の朝に立ち、惡人と言うは、朝衣朝冠を以て塗炭に坐するが如し。惡を惡むの心を推すに、ᰰ人と立ちて、其の冠正しからざれば、望望然として之を去り、將に浼(けがす)されんとするが若く思う。是の故に諸侯其の辭命を善くして至る者有りと雖も、受けざるなり。受けざる者は、是れも亦た就くを屑しとせざるのみ。柳下惠は汙君を羞ぢず、小官を卑しとせず。進んで賢を隱さず、必ず其の道を以てす。遺佚せられて怨みず、阨窮して憫えず。故に曰く、『爾は爾為り、我は我為り。我が側に袒裼裸裎すと雖も、爾焉くんぞ能く我を浼さんや。』故に由由然として之と偕にして自ら失わず。援(ひく)いて之を止むれば止まる。援いて之を止むれば止まる者は、是れ亦た去るを屑しとせざるのみ。」孟子曰く、「伯夷は隘なり。柳下惠は不恭なり。隘と不恭とは、君子由らざるなり。」
-
論語・雍也篇子曰わく、中庸の徳たるや、その至れるかな!民、鮮(すくな)きこと久し。
-
尚書・蔡仲之命小民を康濟するに、率ね中よりし、聰明を作して舊章を亂すこと無かれ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る