言志四録 / 言志後録 第百七十三条 五倫は皆師弟
余甞曰。五倫有君臣。無師弟。非無師弟。君臣即師弟。今更思師不特有君之尊。而有父之親。則父道亦與師道通。長兄若父。則兄亦有師道。三人行必有我師。則朋友亦相師焉。夫敎婦從。則夫亦師歟。是則五倫配合。無適非師弟矣。
新字:余甞曰。五倫有君臣。無師弟。非無師弟。君臣即師弟。今更思師不特有君之尊。而有父之親。則父道亦与師道通。長兄若父。則兄亦有師道。三人行必有我師。則朋友亦相師焉。夫教婦従。則夫亦師歟。是則五倫配合。無適非師弟矣。
書き下し
余嘗て曰く、「五倫に君臣有りて、師弟無し。師弟無きに非ず、君臣即ち師弟なり」と。今更に思ふに、師は特に君の尊有るのみならず、而して父の親有り。則ち父道も亦師道と通ず。長兄は父の若し、則ち兄も亦師道有り。三人行へば必ず我が師有り、則ち朋友も亦相師とす。夫教へ婦従ふ、則ち夫も亦師か。是れ則ち五倫の配合、適くとして師弟に非ざるは無し。
現代語訳
私はかつてこう言った。「五倫(君臣・父子・夫婦・長幼・朋友)には君臣はあっても師弟はない。師弟がないのではなく、君臣がそのまま師弟なのだ」と。今さらに考えてみると、師には君主の尊さがあるだけでなく、父の親しみもある。とすれば父の道もまた師の道に通じる。長兄は父のようなものだから、兄にもまた師の道がある。「三人で行けば必ず自分の師がいる」(論語)のだから、友もまた互いに師とし合う。夫が教え妻が従うのであれば、夫もまた師であろうか。そうしてみると、五倫の組み合わせは、どこへ行っても師弟でないものはない。
解説
儒教の基本的な人間関係である五倫に、なぜ師弟が含まれないのかを考えた一条です。一斎はかつて、君臣がそのまま師弟だと答えていましたが、ここでさらに考えを進めます。師には君の尊さと父の親しみがあり、兄も父に準じ、友は『論語』述而篇の「三人行へば必ず我が師有り」のとおり互いに師となる。こうして五倫のすべてに師弟の関係が含まれていると結論します。昌平坂学問所で多くの門人を育てた一斎にとって、師弟は特別な一関係ではなく、あらゆる人間関係の底に流れるものでした。上司と部下、親と子、同僚どうしのどの関係にも、教え学ぶという面があると見ると、日々の人付き合いの意味が少し変わって見えます。
この章句が説くこと
師弟五倫師道人間関係学び
関連する章句
-
論語・為政篇子曰く、君子は周して比せず、小人は比して周せず。
-
尚書・盤庚上人は惟れ旧きを求め、器は旧きを求むるに非ず、惟れ新しきを求む。
-
葉隠・聞書第十一諸人(しょにん)主君に思い附(つ)き、諸朋輩(しょほうばい)思い合うこと肝要(かんよう)なり。斯様(かよう)に仕(し)なす樣(よう)これあるなり。たとえ、御主人朋輩の内に惡(あ)しき事ありとも、それに理を附けて褒めて置くまでなり。斯様々々(かようかよう)に宜(よろ)しからざることありと聞きては、その儘(まま)隔たるものなり。人の心はやさしきものなる故(ゆえ)、移り易(やす)きものなり。よき事ありと聞きては、その儘思い附くものなり。諸人主君に思い附き、諸朋輩思い合う様にするは、及ばざる事の様なれども、一人の力にて確かになるものなりと。
-
孟子・盡心章句下孟子曰く、「君子の陳・蔡の間に戹するは、上下の交はり無ければなり。」
-
葉隠・聞書第二人に出会い候時は、その人の気質を早く呑込み、それぞれに応じて会釈あるべき事なり。その内、理堅く強勢の人には随分折れて取合い、角立たぬ様にして、間に相手になる上手(じょうず)の理を以て言い伏せ、その後は少しも遺恨を残さぬようにあるべし。これは胸の働き、詞(ことば)の働きなり。何某(なにがし)へ和尚出会の意見、口達(こうたつ)あり。
-
伝習録・陸澄録「朋友に処するには、務めて相い下れば則ち益を得。相い上れば則ち損なわる」。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る