修証義 / 第四章 発願利生
愛語といふは、衆生を見るに、先づ慈愛の心を發し、顧愛の言語を施すなり。慈念衆生猶如赤子の懷ひを貯へて言語するは愛語なり。德あるは讚むべし。德なきは憐むべし。怨敵を降伏し。君子を和睦ならしむること。愛語を根本とするなり。面ひて愛語を聞くは、面を喜ばしめ、心を樂しくす。面はずして愛語を聞くは、肝に銘じ魂に銘ず。愛語能く廻天の力あることを學すべきなり。
新字:愛語といふは、衆生を見るに、先づ慈愛の心を発し、顧愛の言語を施すなり。慈念衆生猶如赤子の懐ひを貯へて言語するは愛語なり。徳あるは讃むべし。徳なきは憐むべし。怨敵を降伏し。君子を和睦ならしむること。愛語を根本とするなり。面ひて愛語を聞くは、面を喜ばしめ、心を楽しくす。面はずして愛語を聞くは、肝に銘じ魂に銘ず。愛語能く廻天の力あることを学すべきなり。
書き下し
愛語といふは、衆生を見るに、先づ慈愛の心を発し、顧愛の言語を施すなり。慈念衆生猶如赤子の懐ひを貯へて言語するは愛語なり。徳あるは讃むべし。徳なきは憐むべし。怨敵を降伏し。君子を和睦ならしむること。愛語を根本とするなり。面ひて愛語を聞くは、面を喜ばしめ、心を楽しくす。面はずして愛語を聞くは、肝に銘じ魂に銘ず。愛語能く廻天の力あることを学すべきなり。
現代語訳
愛語とは、衆生を見るとき、まず慈しみの心を起こし、思いやりのある言葉をかけることである。衆生を慈しみ念じることは赤子に対するようである、という思いを抱いて言葉をかけるのが愛語である。徳のある者はほめなさい。徳のない者は憐れみなさい。怨敵を降伏させ、君子を仲むつまじくさせるのも、愛語を根本とするのである。面と向かって愛語を聞けば、顔をほころばせ、心を楽しくする。面と向かわずに人づてに愛語を聞けば、肝に銘じ、魂に銘じる。愛語には天を廻らすほどの力があることを学びなさい。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十子細は信玄公わかうまします時より、諸侍のことばをよくきゝ、分別あるも、なきも、つよからんも、よはからんも其人の物いふ儀にてつもり被成たるが、今日にいたるまでも、それがしむけんならくへ堕罪仕らん、少もあひちがはず候、さるほどに、よき事をもほめ所を見いだし、聞付穿鑿の取さたをもつて善をば善と定め、悪をば悪とさだめ、道理をつめてほめそしる武士の作法なり、さなくして、かたはし聞て我贔負の者を虚空によきとばかり批判する事女にあひにたる侍、と信玄公の常々御諚これなり、如此有様にせんさくあそばす故、若手に能武士出くるなりと阿部加賀守申て、金丸助六郎·同惣蔵にをしゆる也、
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