言志四録 / 言志後録 第百五十八条 医の罪に非ず
生生無病。物之性也。其受病必有可療之藥。即生生之道也。然生物又有變焉。偶有不可藥之病。非醫之罪。譬猶百穀無不生生。而時有稗不可食。非農之罪。
新字:生生無病。物之性也。其受病必有可療之薬。即生生之道也。然生物又有変焉。偶有不可薬之病。非医之罪。譬猶百穀無不生生。而時有稗不可食。非農之罪。
書き下し
生生として病無きは、物の性なり。其の病を受くるも必ず療すべきの薬有り。即ち生生の道なり。然れども生物には又変有り。偶ま薬すべからざるの病有るは、医の罪に非ず。譬へば猶ほ百穀の生生せざる無くして、時に稗の食ふべからざる有るがごとし。農の罪に非ず。
現代語訳
生き生きと生い育って病がないのが、物の本性である。病にかかっても、必ずそれを治す薬がある。それが生生の道である。しかし生き物にはまた変異がある。たまたま薬で治せない病があっても、それは医者の罪ではない。たとえば、あらゆる穀物は生い育たないものはないが、時には食べられない稗が混じるようなものである。それは農夫の罪ではない。
解説
生命と病、医者の責任について述べた一条です。生き物は本来、生き生きと育ち病がないのがその性であり、病にかかってもそれを治す薬が必ずある。それが天地の「生生の道」だと一斎は言います。しかし生き物には変異もあり、たまたま治せない病があるのは医者の罪ではない。どんなに丹精しても田畑に食べられない稗が混じるのが農夫の罪でないのと同じだ、と。前の「生生の理」の条を受け、天地の働きへの信頼と、人の力の及ばない領域の存在をともに認めています。力を尽くしてもなお避けられない結果があることを受け止め、担い手を責めすぎない。その見方は、医療に限らず結果責任が問われるあらゆる仕事にとって、一つの支えになります。
この章句が説くこと
生生医責任天命限界
関連する章句
-
論語・堯曰篇堯曰く、「咨、爾舜、天の暦数爾の躬に在り。允に其の中を執れ。四海困窮せば、天禄永く終わらん。」舜も亦た以て禹に命ず。曰く、「予小子履、敢えて玄牡を用い、敢えて昭らかに皇皇たる后帝に告ぐ。罪有るは敢えて赦さず。帝の臣は蔽わず、簡ぶこと帝の心に在り。朕が躬罪有らば、万方を以てすること無かれ。万方罪有らば、罪は朕が躬に在り。」「周に大賚有り、善人是れ富む。」「周親有りと雖も、仁人に如かず。百姓過ち有らば、予一人に在り。」権量を謹み、法度を審らかにし、廃官を脩むれば、四方の政行われん。滅国を興し、絶世を継ぎ、逸民を挙ぐれば、天下の民心を帰せん。重んずる所は、民・食・喪・祭。寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち民任じ、敏なれば則ち功有り、公なれば則ち説ぶ。
-
『春秋左氏伝』成公十六年 子反の死旦にして戰ひ、星を見るも未だ已まず。子反軍吏に命じて夷傷を察し、卒乘を補ひ、甲兵を繕ひ、車馬を展べ、雞鳴にして食し、唯だ命を是れ聽かしむ。晉人之を患ふ。苗賁皇徇へて曰く、「乘を蒐め卒を補ひ、馬に秣ひ兵を利くし、陳を脩め列を固くし、蓐食して禱を申ね、明日復た戰はん」と。乃ち楚の囚を逸す。王之を聞き、子反を召して謀らんとす。穀陽豎飲を子反に獻ず。子反醉ひて見ゆる能はず。王曰く、「天楚を敗るかな。余以って待つ可からず」と。乃ち宵に遁る。晉楚の軍に入り、三日穀す。范文子戎馬の前に立ちて曰く、「君幼く、諸臣不佞なり。何を以ってか此に及べる。君其れ之を戒めよ。周書に曰く、『惟れ命は常に于てせず』と。德有るの謂なり」と。楚の師還りて、瑕に及ぶ。王子反に謂はしめて曰く、「先大夫の師徒を覆せし者は、君在らざりき。子以って過と為す無かれ。不穀の罪なり」と。子反再拜稽首して曰く、「君臣に死を賜ふ、死して且つ朽ちず。臣の卒實に奔る。臣の罪なり」と。子重復た子反に謂ひて曰く、「初め師徒を隕せし者は、而も亦た之を聞けり。盍ぞ之を圖らざる」と。對へて曰く、「先大夫之有る微しと雖も、大夫側に命ず、側敢へて義ならざらんや。側君の師を亡ふ、敢へて其の死を忘れんや」と。王之を止めしむ。及ばずして卒す。戰の日、齊の國佐・高無咎、師に至る。衞侯衞を出づ。公壞隤を出づ。
-
尚書・伊訓臣下匡(ただ)さずんば、其の刑は墨、具(つぶさ)に蒙士に訓(をし)ふ。嗚呼(ああ)、嗣王厥(そ)の身を祗(つつし)み、念へや。聖謨洋洋として、嘉言孔(はなは)だ彰(あき)らかなり。惟れ上帝は常ならず、
-
『呻吟語』内篇・談道・人事は就ち是れ天命人事は就ち是れ天命なり。
-
史記 宋微子世家司馬唐山太子肥を攻め殺し、華元を殺さんと欲す。華元晋に犇(はし)らんとす。魚石之を止め、河に至りて乃ち還り、唐山を誅す。乃ち共公の少子戌を立つ。是を平公と為す。平公の三年、楚の共王宋の彭城を抜き、以て宋の左師魚石を封ず。四年、諸侯共に魚石を誅し、而して彭城を宋に帰す。三十五年、楚の公子囲其の君を弑して自立し、霊王と為る。四十四年、平公卒し、子の元公佐立つ。元公の三年、楚の公子棄疾霊王を弑し、自立して平王と為る。八年、宋に火あり。十年、元公信毋く、詐りて諸公子を殺す。大夫華・向氏乱を作す。楚の平王の太子建来奔す。諸華氏の相攻めて乱るるを見て、建去りて鄭に如く。十五年、元公魯の昭公の季氏を避けて外に居るが為に、之が為に魯に入らんことを求め、道を行きて卒し、子の景公頭曼立つ。景公の十六年、魯の陽虎来奔し、已にして復た去る。二十五年、孔子宋を過ぐ。宋の司馬桓魋之を悪み、孔子を殺さんと欲す。孔子微服して去る。三十年、曹宋に倍き、又晋に倍く。宋曹を伐つ。晋救はず。遂に曹を滅ぼして之を有つ。三十六年、斉の田常簡公を弑す。三十七年、楚の恵王陳を滅ぼす。熒惑心を守る。心は宋の分野なり。景公之を憂ふ。司星子韋曰く、「相に移すべし」と。景公曰く、「相は吾の股肱なり」と。曰く、「民に移すべし」と。景公曰く、「君は民を待つ」と。曰く、「歳に移すべし」と。景公曰く、「歳饑うれば民困しむ。吾誰の為にか君たらん」と。子韋曰く、「天は高きも卑きに聴く。君に君人の言三つ有り。熒惑宜しく動くこと有るべし」と。是に於て之を候ふに、果たして徙ること三度。六十四年、景公卒す。宋の公子特太子を攻め殺して自立す。是を昭公と為す。昭公は、元公の曾庶孫なり。昭公の父は公孫糾、糾の父は公子褍秦、褍秦は即ち元公の少子なり。
-
『墨子』非命中先王の書『仲虺之誥』に曰く、「我れ聞く、有夏の人、天命を矯め、命を下に布く。帝、式て是れを惡み、厥の師を用う」と。此れ夏王桀の有命を執るを語るなり。湯と仲虺、共に之を非とす。先王の書『太誓』の言、然り。曰く、「紂、夷して之れ居り、而して上帝に事うるを肯んぜず、厥の先神を棄てて祀らざるなり。曰く『我が民に命有り、其の務めを僇すこと毋かれ』と。天も亦た棄て縦ちて葆せず」と。此れ紂の有命を執るを言うなり。武王、『太誓』を以て之を非とす。『三代』『不國』に之れ有り。曰く、「女、天の命有るを崇ぶこと毋かれ」と。『三』『不國』も亦た命の無きを言うなり。召公の『執令』に於いても然り。且つ、「敬しめや。天命無し。惟れ予二人にして、造言する無かれ。天より之を降すに自らず、哉に之を得たり」と。夏商の詩書に在りて曰く、「命なる者は、暴王、之を作す」と。且つ今、天下の士君子、将に是非利害の故を辯ぜんと欲せば、天命有りと當う者は、疾く非とせざる可からざるなり。有命を執る者、此れ天下の厚害なり。是の故に子墨子、之を非とするなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る