言志四録 / 言志後録 第百五十一条 人心の霊
瞽目能以耳視物。聾瘂能以目聽物。人心之靈足賴者如此。
新字:瞽目能以耳視物。聾瘂能以目聴物。人心之霊足頼者如此。
書き下し
瞽目は能く耳を以て物を視、聾唖は能く目を以て物を聴く。人心の霊の頼るに足る者此くの如し。
現代語訳
目の見えない人は耳によって物を見ることができ、耳が聞こえず口のきけない人は目によって物を聴くことができる。人の心の霊妙な働きが頼りにするに足るのは、このようである。
解説
感覚の不自由を補う人の力から、心の働きの確かさを説いた一条です。目の見えない人は音で周囲の様子を見て取り、耳の聞こえない人は表情や口の動きで言葉を聴き取る。一つの感覚が閉ざされても、心の霊妙な働きが別の道を通して物事をとらえるのだと一斎は言います。ここでの「霊」は神秘的な力ではなく、物事に感応し理を知る心の本来の働きを指します。感覚器官は心の窓口にすぎず、見る・聴く主体は心であるという、心を重んじる一斎の立場がよく表れています。条件が欠けているときにも、人には別の道を見出す力があるという見方は、制約の中で仕事をする人や、多様な人と働く組織にとって心強い視点になります。
この章句が説くこと
心の霊妙感覚可能性心多様性
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