言志四録 / 言志後録 第百四十九条 将に滅せんとする灯
人至五十已後。有春心再動時候。是衰徵也。將滅之燈。必乍發焰。與此一般。余往年有自警詩。曰。晩年莫學少年人。節輙荒頽多誤身。悟得秋冬黃爛際。一時光景似陽春。頒白誰憐遲暮人。自知三戒在終身。要看枯樹開花發。也是枝頭一刻春
新字:人至五十已後。有春心再動時候。是衰徴也。将滅之灯。必乍発炎。与此一般。余往年有自警詩。曰。晩年莫学少年人。節輙荒頽多誤身。悟得秋冬黄爛際。一時光景似陽春。頒白誰憐遅暮人。自知三戒在終身。要看枯樹開花発。也是枝頭一刻春
書き下し
人五十已後に至りて、春心再び動く時候有り。是れ衰徴なり。将に滅せんとする灯は、必ず乍ち焔を発す。此と一般なり。余往年自警の詩有り。曰く、晩年少年の人を学ぶこと莫かれ、節輙ち荒頽して多く身を誤る。悟り得たり秋冬黄爛の際、一時の光景陽春に似たるを。頒白誰か憐まん遅暮の人、自ら知る三戒の終身に在るを。看るを要す枯樹の花を開き発くを、也た是れ枝頭一刻の春。
現代語訳
人は五十歳を過ぎると、色恋の心が再び動く時期がある。これは衰えの兆しである。消えかかった灯火が、きまって急に炎を上げるのと同じである。私はかつて自戒の詩を作った。「晩年になって若者のまねをしてはならない。節度がたちまち崩れて、多くは身を誤る。秋から冬へ、木々が黄に熟れ落ちる頃、ひととき陽春のような景色になるのだと悟った。白髪まじりの老いゆく人を誰が憐れもう。君子の三戒(『論語』季氏篇)が生涯にわたるものだと自ら知っている。見てごらん、枯れ木が花を開くのも、枝先のほんのひとときの春にすぎないのだ」。
解説
老いと色欲をめぐる、率直な自戒の一条です。五十を過ぎて再び恋心が動くのは若返りではなく衰えの兆しであり、消えかけた灯が一瞬燃え上がるのと同じだと一斎は言います。添えられた二首の自警詩では、秋冬の紅葉が春に似た景色を見せても春ではないこと、枯れ木に咲く花も枝先の一刻の春にすぎないことを詠みます。『論語』季氏篇の「君子に三戒有り」は、若い時は色、壮年は争い、老年は得ることを戒めよという教えで、一斎はその戒めが一生続くことを自覚しています。人生の後半に訪れる高揚感や、成功の後の気の緩みをどう受け止めるか。経験を重ねた立場の人ほど、自分の変化を冷静に見つめるための言葉として読めます。
この章句が説くこと
老い自戒三戒色欲節度
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