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言志四録 / 言志後録 第百四十五条 理一と分殊

李延平曰。理不患其不一。所難者分殊耳。李谷子反之曰。分不患其不殊。所難者理一耳。余則謂二先生之言。雖似各有所得。然恐非究竟語。其實眞能知理一者。即能知分殊者。未知理一。焉能知分殊。眞知分殊者。即能知理一者。未知分殊。焉能知理一。今以難易言之。見猶未透。

新字:李延平曰。理不患其不一。所難者分殊耳。李谷子反之曰。分不患其不殊。所難者理一耳。余則謂二先生之言。雖似各有所得。然恐非究竟語。其実真能知理一者。即能知分殊者。未知理一。焉能知分殊。真知分殊者。即能知理一者。未知分殊。焉能知理一。今以難易言之。見猶未透。

書き下し

李延平曰く、「理は其の一ならざるを患へず、難き所の者は分殊のみ」と。李谷子之に反して曰く、「分は其の殊ならざるを患へず、難き所の者は理一のみ」と。余は則ち謂ふ、二先生の言は、各得る所有るに似たりと雖も、然れども恐らくは究竟の語に非ず。其の実、真に能く理一を知る者は、即ち能く分殊を知る者なり。未だ理一を知らずんば、焉んぞ能く分殊を知らん。真に分殊を知る者は、即ち能く理一を知る者なり。未だ分殊を知らずんば、焉んぞ能く理一を知らん。今難易を以て之を言ふは、見猶ほ未だ透らず。

現代語訳

李延平(宋の儒者、朱子の師)は「理が一つであることは心配いらない。難しいのは分殊(理がそれぞれの場で異なって現れること)である」と言った。李谷子はこれに反対して「分が殊なることは心配いらない。難しいのは理一である」と言った。私の考えでは、二人の先生の言葉は、それぞれ得るところがあるように見えるが、おそらく究極の言葉ではない。実のところ、本当に理一を知る者は、そのまま分殊を知る者である。理一をまだ知らないで、どうして分殊を知ることができようか。本当に分殊を知る者は、そのまま理一を知る者である。分殊をまだ知らないで、どうして理一を知ることができようか。いま難しい・易しいで論じるのは、見方がまだ徹底していない。

解説

宋学の重要概念「理一分殊」をめぐる一条です。理一分殊とは、万物を貫く理は一つだが、それが個々の物や立場に現れる姿はそれぞれ異なる、という考えです。朱子の師李延平は、理が一つであることは分かりやすく、難しいのは個々の違いを見分けることだと言い、李谷子は逆に、違いは見えやすく、それを貫く一つの理をつかむのが難しいと言いました。一斎は両者を退け、理一を真に知ることと分殊を真に知ることは同じ一つのことで、どちらが難しいという問題ではないと言います。原則と個別を切り離さない見方です。組織でいえば、理念を本当に理解している人は現場ごとの違いにも対応でき、現場を深く知る人は理念にも通じている、ということになるでしょう。

この章句が説くこと

理一分殊原則個別朱子学認識

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