言志四録 / 南洲手抄
孟子以讀書爲尚友。故讀經籍、即是聽嚴師父兄之訓也。讀史子、亦即與明君賢相英雄豪傑相周旋也。其可不清明其心以對越之乎。
新字:孟子以読書為尚友。故読経籍、即是聴厳師父兄之訓也。読史子、亦即与明君賢相英雄豪傑相周旋也。其可不清明其心以対越之乎。
書き下し
孟子読書を以て尚友と為す。故に経籍を読む、即ち是れ厳師父兄の訓を聴くなり。史子を読む、亦即ち明君賢相英雄豪傑と相周旋するなり。其れ其の心を清明にして以て之に対越せざる可けんや。
現代語訳
孟子は、読書を「昔の優れた人を友とすること(尚友)」だと考えた。だから経書を読むことは、そのまま厳格な師や父兄の教えを聴くことである。歴史書や諸子の書を読むことは、そのまま名君・賢相・英雄・豪傑と交わることである。ならば、心を清らかに澄ませて、彼らと向き合わずにいられようか。
解説
読書とは何かを、孟子の「尚友」の思想から説いた一条です。本を読むことは、時代を超えて優れた人物を友とし、その謦咳に接すること。経書を読めば厳しい師の教えを受け、史書を読めば名君や英雄と交わるに等しい。ならば、相手に失礼のないよう、心を清らかに正して向き合うべきだ、というのです。読書を単なる情報収集ではなく、偉大な人物との真剣な対話ととらえる姿勢。何を読み、どんな心で読むかで、得るものはまるで変わります。読書の質を根本から問い直させる、格調高い一条です。
この章句が説くこと
読書尚友古典対話
関連する章句
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孟子・萬章章句下孟子、萬章に謂いて曰く、「一ᰰの善士は、斯に一ᰰの善士を友とす。一國の善士は、斯に一國の善士を友とす。天下の善士は、斯に天下の善士を友とす。天下の善士を友とするを以て、未だ足らずと為すや、又古の人を尚論す。其の詩を頌し、其の書を讀むも、其の人を知らずして、可ならんや。是を以て其の世を論ず。是れ尚友なり。」
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言志四録・南洲手抄経を読むは、宜しく我れの心を以て経の心を読み、経の心を以て我の心を釈すべし。然らずして徒爾に訓詁を講明するのみならば、便ち是れ終身曾て読まざるなり。
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言志四録・南洲手抄論語を講ず、是れ慈父の子を教ふる意思。孟子を講ず、是れ伯兄の季を誨ふる意思。大学を講ず、網の綱に在る如し。中庸を講ず、雲の岫を出づる如し。
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言志四録・南洲手抄学は自得を貴ぶ。人徒に目を以て有字の書を読む、故に字に局し、通透することを得ず。当に心を以て無字の書を読むべし、乃ち洞して自得する所有らん。
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孟子・萬章章句下萬章問いて曰く、「敢て友を問う。」孟子曰く、「長を挾まず、貴を挾まず、兄弟を挾まず、而して友たり。友なる者は、其の德を友とするなり。以て挾むこと有る可からざるなり。孟獻子は、百乘の家なり。友五人有り。樂正裘・牧仲、其の三人は則ち予之を忘れたり。獻子の此の五人の者と友たるや、獻子の家を無しとする者なり。此の五人の者も、亦た獻子の家を有りとせば、則ち之と友たらず。惟だ百乘の家のみ然りと為すに非ざるなり。小國の君と雖も亦た之れ有り。費の惠公曰く、『吾、子思に於いては、則ち之を師とす。吾、顏般に於いては、則ち之を友とす。王順・長息は則ち我に事うる者なり。』惟だ小國の君のみ然りと為すに非ざるなり。大國の君と雖も亦た之有り。晉の平公の亥唐に於けるや、入れと云えば則ち入り、坐せと云えば則ち坐し、食えと云えば則ち食う。疏食菜羹と雖も、未だ嘗て飽かずんばあらず。蓋し敢て飽かずんばあらざるなり。然れども此に終わるのみ。與に天位を共にせざるなり。與に天職を治めざるなり。與に天祿を食まざるなり。士の賢を尊ぶ者なり。非王公の賢を尊ぶに非ざるなり。舜尚せられて帝に見ゆ。帝、甥を貳室に館し、亦た舜を饗し、迭(たがいに)に賓主と為る。是れ天子にして匹夫を友とするなり。下を用て上を敬する、之を貴を貴ぶと謂う。上を用て下を敬する、之を賢を尊ぶと謂う。貴を貴び、賢を尊ぶ、其の義は一なり。」
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『顔氏家訓』勉學夫れ読書学問する所以は、本と心を開き目を明らかにし、行いに利あらんことを欲するのみ。未だ親を養うを知らざる者には、其れをして古人の意に先んじ顔を承け、声を怡ばせ気を下し、劬労を憚らず、以て甘腝を致すを観て、惕然として慚じ懼れ、起ちて之を行わしめんと欲す。未だ君に事うるを知らざる者には、其れをして古人の職を守りて侵す無く、危うきを見ては命を授け、誠諫を忘れず、以て社稷を利するを観て、惻然として自ら念い、之に效わんと思欲せしめんとす。