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言志四録 / 言志後録 第百三十七条 事に臨むは活書を読む

仁義禮智。種種名色。皆是本心呈露標目。有總稱。有子稱。隨處指點。究不過狀一己心體。即是我見在活物。今做此言。亦此是物。故讀書時。當認做講我物。至臨事時。郤當認做讀活書。如是互看。於學有益。

新字:仁義礼智。種種名色。皆是本心呈露標目。有総称。有子称。随処指点。究不過状一己心体。即是我見在活物。今做此言。亦此是物。故読書時。当認做講我物。至臨事時。郤当認做読活書。如是互看。於学有益。

書き下し

仁義礼智、種種の名色は、皆是れ本心の呈露せる標目なり。総称有り、子称有り、随処に指点す。究むるに一己の心体を状するに過ぎず。即ち是れ我が見在の活物なり。今此の言を做すも、亦此れ是の物なり。故に書を読む時は、当に認めて我が物を講ずと做すべし。事に臨む時に至りては、却つて当に認めて活書を読むと做すべし。是くの如く互ひに看れば、学に於て益有り。

現代語訳

仁・義・礼・智といったさまざまな名目は、すべて本心が表に現れたものにつけた見出しである。それらを総べる呼び名もあれば、細分した呼び名もあり、場面に応じて指し示している。突き詰めれば、自分一個の心の本体をかたどったものにすぎない。つまりそれは、今ここにある私自身の生きた物である。いまこうして語っていることも、またこの物にほかならない。だから書を読むときは、自分自身の物について講じているのだと受け取るべきである。事に臨むときには、逆に生きた書物を読んでいるのだと受け取るべきである。このように両方から互いに見てゆけば、学問に益がある。

解説

書物と実務を往復させる読み方を説いた一条です。仁義礼智といった徳目は、紙の上の概念ではなく、自分の本心が現れ出たものに名前をつけた見出しにすぎない、と一斎は言います。だから書を読むときは、他人の話ではなく自分の心のことが書いてあると思って読む。反対に、実際に事に当たるときは、目の前の出来事を生きた書物として読む。この「互ひに看る」往復が学問を益すというのです。書物の学を心の学に引き戻す姿勢は、陽明学の影響を受けつつ朱子学の読書を重んじた一斎ならではです。本で学んだことを仕事で試し、仕事で起きたことを本に照らして読み直す。学びと実践を切り離さないための、具体的な心構えを示しています。

この章句が説くこと

読書実践本心活学知行

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