言志四録 / 言志後録 第百十六条 毎に人の善を称す
人多話己所好。不話己所惡。君子好善。故毎稱人善。惡惡。故不肯稱人惡。小人反之。
新字:人多話己所好。不話己所悪。君子好善。故毎称人善。悪悪。故不肯称人悪。小人反之。
書き下し
人多く己の好む所を話して、己の悪む所を話さず。君子は善を好む、故に毎に人の善を称す。悪を悪む、故に肯へて人の悪を称せず。小人は之に反す。
現代語訳
人は多くの場合、自分の好むことを話題にし、自分の嫌うことは話題にしない。君子は善を好むので、いつも人の善いところを褒める。悪を憎むので、あえて人の悪いところを言い立てない。小人はその反対である。
解説
人は好きなことを話し、嫌いなことは口にしない、という誰もが思い当たる観察から始まる条です。君子は善を好むから人の善を語り、悪を憎むからこそ人の悪を語らない。逆に、人の悪口ばかり言う者は、実は悪を好んでいるのだということになります。『論語』陽貨篇で孔子は「人の悪を称する者を悪む」と言い、顔淵篇では「君子は人の美を成し、人の悪を成さず」と述べています。一斎の鋭さは、何を話題にするかにその人の好みが表れると見抜いたところにあります。職場で交わされる会話が人の成果や長所の話か、失敗や陰口の話かは、そこに集まる人の心のあり方を映しています。自分の口ぐせを振り返らせる一条です。
この章句が説くこと
言葉人の善君子と小人陰口好悪
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