言志四録 / 言志後録 第百六条 心は二有るに非ず
心非有二。語其本體。則謂之道心。性之體也。自其涉於體軀。則謂之人心。情之發也。故道心能主宰體軀。則形色不失其天性之本然。唯聖人能用精一之功。以踐其形而已。然知覺此功。亦即道心之靈光。非二也。
新字:心非有二。語其本体。則謂之道心。性之体也。自其渉於体躯。則謂之人心。情之発也。故道心能主宰体躯。則形色不失其天性之本然。唯聖人能用精一之功。以践其形而已。然知覚此功。亦即道心之霊光。非二也。
書き下し
心は二有るに非ず。其の本体を語れば、則ち之を道心と謂ふ、性の体なり。其の体軀に渉るよりすれば、則ち之を人心と謂ふ、情の発なり。故に道心能く体軀を主宰すれば、則ち形色其の天性の本然を失はず。唯聖人のみ能く精一の功を用ひて、以て其の形を践むのみ。然れども此の功を知覚するも、亦即ち道心の霊光にして、二に非ざるなり。
現代語訳
心は二つあるのではない。その本体について言えば、これを道心といい、性の本体である。それが体に関わるところから言えば、これを人心といい、情の現れである。だから道心がよく体を主宰すれば、体の形や色つやも、その天性の本来のあり方を失わない。ただ聖人だけが「精一」の工夫を用いて、その形を践む(体の天性を十全に発揮する)ことができるのである。しかし、この工夫を自覚することも、やはり道心の霊妙な光であって、二つのものではない。
解説
道心と人心を説いた二条をまとめ、心は二つあるのではないと結んだ条です。本体の側から見れば道心で性の体、体に関わる側から見れば人心で情の発である、というわけです。道心が体を主宰すれば、体もその天性を失いません。「形色は天性なり、惟だ聖人にして然る後に以て形を践むべし」という『孟子』尽心篇の言葉を引き、聖人は精一の工夫で体の天性を全うすると言います。さらに、その工夫に気づく働きもまた道心の霊光だとして、修養する心とされる心を分けません。自分の中に良い自分と悪い自分が別々にいるのではなく、同じ心が向きによって違って見えるだけだという見方は、自分を責めすぎず立て直すための支えにもなりそうです。
この章句が説くこと
道心人心精一践形心
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